驢鞍橋 / 卷下
去る時、我も同組にて、大坂御番に當ることあり、高木主水の所にて頭振舞有り、互に亂酒に成り、打解け、跡を賴むそ、先を賴むそと、道中宿々の約束迄云ひ合はし、みたれたる座に成て果てす、鈴木殿は常に人に混せす、打上て柱に打懸り、きつとすみの目使つて居る人也。其日も如是して居給ひけるか、つゝと坐中に出て、扨て扨て各はねはいことを仰せ有る者哉道中跡先のこと迄、今約束有りても、爭か當らんや。分別の仕置用に立たぬ物也。何が大事の御番に參る身か、我人生て參らんす、門を出るよりつんと命を捨て死切て出て、其時々に隨て事を作さん迄よと云ひ給へば、頭を始め皆尤もと受けられたり。一坐の人々胸つゝ切れて、心安く成りたると云はれたると也。
新字:去る時、我も同組にて、大坂御番に当ることあり、高木主水の所にて頭振舞有り、互に乱酒に成り、打解け、跡を頼むそ、先を頼むそと、道中宿々の約束迄云ひ合はし、みたれたる座に成て果てす、鈴木殿は常に人に混せす、打上て柱に打懸り、きつとすみの目使つて居る人也。其日も如是して居給ひけるか、つゝと坐中に出て、扨て扨て各はねはいことを仰せ有る者哉道中跡先のこと迄、今約束有りても、争か当らんや。分別の仕置用に立たぬ物也。何が大事の御番に参る身か、我人生て参らんす、門を出るよりつんと命を捨て死切て出て、其時々に随て事を作さん迄よと云ひ給へば、頭を始め皆尤もと受けられたり。一坐の人々胸つゝ切れて、心安く成りたると云はれたると也。
書き下し
去る時、我も同組にて、大坂御番に当ることあり、高木主水の所にて頭振舞有り、互に乱酒に成り、打解け、跡を頼むそ、先を頼むそと、道中宿々の約束迄云ひ合はし、みたれたる座に成て果てす、鈴木殿は常に人に混せす、打上て柱に打懸り、きつとすみの目使つて居る人也。其日も如是して居給ひけるか、つゝと坐中に出て、扨て扨て各はねはいことを仰せ有る者哉道中跡先のこと迄、今約束有りても、争か当らんや。分別の仕置用に立たぬ物也。何が大事の御番に参る身か、我人生て参らんす、門を出るよりつんと命を捨て死切て出て、其時々に随て事を作さん迄よと云ひ給へば、頭を始め皆尤もと受けられたり。一坐の人々胸つゝ切れて、心安く成りたると云はれたると也。
現代語訳
ある時、私も同じ組で、大坂のご番に当たることがあった。高木主水のところで組頭の振る舞いがあり、互いに乱酒になって打ち解け、後のことを頼むぞ、先のことを頼むぞと、道中の宿々の約束まで言い合わせ、乱れた座となって終わらなかった。鈴木殿はいつも人に交わらず、打ち上がって柱に寄りかかり、きっと隅の目を使っている人であった。その日もこのようにしておられたが、つっと座の中に出て、さてさて皆はつまらないことをおっしゃるものだな。道中の先々のことまで、今約束しても、どうして当たろうか。分別の取り決めは役に立たないものだ。何を言う、大事なご番に参る身ではないか。我も人も生きて参ろうというのか。門を出るときから、つんと命を捨てて死に切って出て、そのときそのときに従って事をなすまでよ、と言われたので、組頭をはじめ、みなもっともだと受け止められた。一座の人々は、胸がすっと切れて、心安くなった、と言われたという。
解説

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