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驢鞍橋 / 卷下

一日、沉坐禪を作す者に示して云ふ、詮なきことを作さんより、只死ぬことをし習ひめされよ、別のことは入らぬ也。無理死に死習つて、夢中ともに抜けぬほどにすべし。扨て又只今打腐るゝ腐物を秘藏して居ること哉。熱い寒い、痛い痒い、一つとして苦ならずと云ふことなし。扨てもいやな苦体哉と、きつと睨付けて、平生境界と張合て居る念を起すべし。我上にはさも見えまいが、我と機を着て見れば、奧牙を咬合せ、眼をすゑてきつと睨着けて居る機に成て常住ある也。またよう若き時から如是有りし也。奥牙と云はねば云はれぬに仍て云ふ、奧牙ではなし、奧牙と前齒との間の齒也。之をきつと食合せ、眼をすゑ、じりじりと睨付けて居る機也。爰を以て果眼坐禪と云ふ也。又自らきつとねぢ廻はしたるまねをなして曰く、八幡と云つてかう懸つた時、爰にすわつた機か有る、之を云ふ也。この機を用ひば、諸念自ら碍るべからず。我坐禪は此の如し。

新字:一日、沈坐禅を作す者に示して云ふ、詮なきことを作さんより、只死ぬことをし習ひめされよ、別のことは入らぬ也。無理死に死習つて、夢中ともに抜けぬほどにすべし。扨て又只今打腐るゝ腐物を秘蔵して居ること哉。熱い寒い、痛い痒い、一つとして苦ならずと云ふことなし。扨てもいやな苦体哉と、きつと睨付けて、平生境界と張合て居る念を起すべし。我上にはさも見えまいが、我と機を着て見れば、奥牙を咬合せ、眼をすゑてきつと睨着けて居る機に成て常住ある也。またよう若き時から如是有りし也。奥牙と云はねば云はれぬに仍て云ふ、奥牙ではなし、奥牙と前歯との間の歯也。之をきつと食合せ、眼をすゑ、じりじりと睨付けて居る機也。爰を以て果眼坐禅と云ふ也。又自らきつとねぢ廻はしたるまねをなして曰く、八幡と云つてかう懸つた時、爰にすわつた機か有る、之を云ふ也。この機を用ひば、諸念自ら碍るべからず。我坐禅は此の如し。

書き下し

一日、沈坐禅を作す者に示して云ふ、詮なきことを作さんより、只死ぬことをし習ひめされよ、別のことは入らぬ也。無理死に死習つて、夢中ともに抜けぬほどにすべし。扨て又只今打腐るゝ腐物を秘蔵して居ること哉。熱い寒い、痛い痒い、一つとして苦ならずと云ふことなし。扨てもいやな苦体哉と、きつと睨付けて、平生境界と張合て居る念を起すべし。我上にはさも見えまいが、我と機を着て見れば、奥牙を咬合せ、眼をすゑてきつと睨着けて居る機に成て常住ある也。またよう若き時から如是有りし也。奥牙と云はねば云はれぬに仍て云ふ、奥牙ではなし、奥牙と前歯との間の歯也。之をきつと食合せ、眼をすゑ、じりじりと睨付けて居る機也。爰を以て果眼坐禅と云ふ也。又自らきつとねぢ廻はしたるまねをなして曰く、八幡と云つてかう懸つた時、爰にすわつた機か有る、之を云ふ也。この機を用ひば、諸念自ら碍るべからず。我坐禅は此の如し。

現代語訳

ある日、沈んだ坐禅をする者に示して言われた。甲斐のないことをするより、ただ死ぬことを習いなさい。別のことは要らない。無理に死に、死ぬことを習って、夢の中でも抜けないほどにしなさい。さてまた、今にも腐ってしまう腐ったものを大切にしていることだな。暑い、寒い、痛い、痒い、一つとして苦でないことはない。さても嫌な苦の体だな、ときっと睨みつけて、平生、境界と張り合っている念を起こしなさい。私の外見にはそうは見えないだろうが、私の気迫に目をつけて見れば、奥歯を噛み合わせ、目を据えて、きっと睨みつけている気迫になって、常にいるのである。また若いときからこうであった。奥歯と言わなければ言えないので言うが、奥歯ではない、奥歯と前歯の間の歯である。これをきっと食い合わせ、目を据え、じりじりと睨みつけている気迫である。これをもって果眼坐禅と言うのである。また自らきっとねじ回した身振りをして言われた。八幡、と言ってこう懸かったとき、ここに据わった気迫がある。これを言うのである。この気迫を用いれば、諸々の念は自然と妨げにならない。私の坐禅はこのようである。

解説

気の沈んだ坐禅をする者に、正三は、そんなことより死ぬことを習え、と言い、自らの果眼坐禅を具体的に示す。外からは分からないが、いつも奥歯と前歯の間の歯を噛み合わせ、目を据えてじりじりと睨みつけている、と。さらに、八幡と叫んで敵に懸かるときの身振りをして、そのとき腹に据わる気迫がこれだ、と見せる。歯の位置まで具体的に語る身体的な指導は、正三の坐禅が観念ではなく身体の技であったことをよく伝えている。

この章句が説くこと

果眼坐禅身体歯を噛む気迫沈んだ坐禅具体的指導

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