驢鞍橋 / 卷下
一日示めして曰く、娑婆は喜ふ心にては、何としても勢出つべからずと也。又手をひしと打ち、眼をすゑて曰く、あゝ大儀じやよ大儀じやよ、死ぬ時じゆつからんずか、皆忘れて居るらんと也。
書き下し
一日示めして曰く、娑婆は喜ふ心にては、何としても勢出つべからずと也。又手をひしと打ち、眼をすゑて曰く、あゝ大儀じやよ大儀じやよ、死ぬ時じゆつからんずか、皆忘れて居るらんと也。
現代語訳
ある日示して言われた。娑婆を喜ぶ心では、どうしても勢いは出ないだろう、と。また手をひしと打ち、目を据えて言われた。ああ、大儀じゃよ、大儀じゃよ。死ぬときは苦しいだろうか。みな忘れているのだろう、と。
解説
世の楽しみを喜んでいる心では、修行の勢いは出ない、と正三は言う。そして手を打ち、目を据えて、ああ大変だ、死ぬときは苦しいだろうに、みな忘れている、と嘆く。晩年の正三の、死を前にした切実な実感が、飾らない言葉で吐き出されている。楽しいことに心を奪われていると、いずれ来る苦しい局面への備えを忘れる。短いながら、正三の息遣いまで伝わってくるような条である。
この章句が説くこと
死切実娑婆勢い晩年嘆き
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、誰も憂き事に逢ふては死に度き事も有るべし。只栄耀にして機をへらし居られば、老ても命の惜き事は、若者と替りあるべからす。少々にして娑婆の隙明くべからず。其方達も十二時中眼をすゑ、拳を握り、せぼねを引立て、臍の下より勇猛の心湧出づる程に修すべしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る処へ至り玉ふに、其家の代官知行処へ往くとて、途中にて少し煩ひ死しける由申来る。師聞き愕然として曰く、扨々不便千万の事哉、我をも娑婆をも実に有ると思ひ居て俄に死す。苦み計り難し、嘆痛敷事也。爰を以て思へは少し志有りて、今か今かと片腰懸けたる様にも思ひ居る者は、亦大なる徳也。其日さまざまの事有り、晩に至りて曰く、一日徒に飮食したり、闇魔王に腹を打破られんすよと也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、人毎に死を忘れて今日角有れば、明日も角有らんと思ふ。亦人人今ではあらじと思ふ物也。究めて聞き事也。左様に思ひ居たる者共皆死失せし也。彼等も時を知るにあらず、各各やうに思ひし者共也。此理を弁へずあだなる身を我身と思ひ、仮の娑婆を我娑婆と思ひ、万才楽と限りなく楽み居る也。如是思懸けなき処に、俄に闇魔の使ふと来り、五臓六腑を責破り、命を責め取る時、眼くらみ耳かすかにして、舌すくみ総身に死苦せまり、苦みの堪えがたきのみならず、命の惜しさ娑婆のなごりの惜しさ云ふ計りなく、前後暗くして何くへ行くと云ふ道やりなく、其時に悔ふるともかひあらんや。
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『驢鞍橋』卷上心弥迷惑し、死出の山の大難堪え難く、正念を失ひ、死後畜生の如くにして冥より冥に落入り、其儘餓鬼畜生に体を受けん事、口惜き事に非すや。扨々恐るべき事也。かほとの大事を持ちながら、是れを忘れてたわ事の娑婆に心を抜かし居る事、大なる油断也。能く能く思ひ知り、此大事を平生引受けて守るべし。必ず一大事を忘れて世間に機を抜かすべからすと也。
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『驢鞍橋』卷下去る暁、左右に向て曰く、扨て扨て実は强物哉。何れも正三かまだいきて居ると思ひ、世にある物じやと思つて、我病に貪著し、之に機を取られて居るさうなと也。又曰く、死をはつしと守るべし、我常に是れ一つを云ふ也。正三は何年生きても、死より別に云ふことなしと也。
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『驢鞍橋』卷下己の五月廿八日の暁曰く、御坊主達もきつと弓を張りたるか如く、張合の心出るや、扨て又痛い痒いと、一切に付ていやな体哉と、きつと境界と張合て居る心有るやと也。去る者、何某病気なるが、一定死に窮て居ると語る。師聞て曰く、扨ても强者哉、是れ貴き人也。老病究りても、心しに切れぬ物也。