驢鞍橋 / 卷上
夜話に曰く、初心の者は思ふ處には離れ離れて、心を時々に改め行くが好き也。何としても覺えずそこそこに落ちて居る物と也。
新字:夜話に曰く、初心の者は思ふ処には離れ離れて、心を時々に改め行くが好き也。何としても覚えずそこそこに落ちて居る物と也。
書き下し
夜話に曰く、初心の者は思ふ処には離れ離れて、心を時々に改め行くが好き也。何としても覚えずそこそこに落ちて居る物と也。
現代語訳
夜話で言われた。初心の者は、思うところから離れ離れして、心をそのつど改めていくのがよい。どうしても、知らず知らずのうちに、あちこちに落ちているものである、と。
解説
初心のうちは、一つの思いにとどまらず、そのつど心を改めて離れていくのがよい、と正三は言う。気づかないうちに、心はあちこちの思いに落ち込んでいるからだ。一度決めた心構えを保ち続けられると思わず、落ちていることに気づいては戻す、その繰り返しこそが修行だという。集中が途切れることを失敗と考えず、気づいて戻ることを習慣にするという考え方は、今日の注意の訓練にもそのまま通じる短い教えである。
この章句が説くこと
初心心を改める気づき注意習慣修行
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、修行と云ふ物、中中上り難き物也。我今十二時中坐禅ならさる事なし。喩へは大勢に交り、上下へかえし、相撲を取り、躍をゝとり、何程はね狂ひたりとも、坐禅の機少しもたじろくへからす。また好く若き時より心つきて自己を守りしが、其時分よりはや念には勝つてばかされざる也。夫れより次第よく修しつめ何たる事にもたじろかぬほどに仕付けたれども、まだ夫れでも生死の為めには不成、中々大儀な物也。
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『驢鞍橋』卷下同十八日、去る俗士来り、某今迄終に仏法承らす、油断者也と云つて法要を問ふ。師曰く、何くにても聞きめされぬか仕合也。若し聞きめされたらば、疾く悟て隙を明けめさるべし。総而聞きて合点して置くことに非す。只修し行して、少し宛も心の垢を抜くこと也。暗心も明く成り、弱心も强く成る様に修すること、先つ大すべを心得めされよと也。
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『驢鞍橋』卷上一日意の暗き行者を諫めて曰く、其方は先づ言句を錬鍛べて意に徹すへし。彼者云、某一処を守る機有り、熟せば万事に相応すべき間、言句の意を明めて詮なしと存ず。但し無理に强く修すると、意を受くると差別有りや。師曰、中々意暗くしては修行はかどるべからす、先づ其方は専ら意を受習はるべしと也。
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『驢鞍橋』卷上夜話の次て去る者問ふ、今時の修行者或は病者と成り、或は気違と成り、様々錯り多しと見えたり。是れ何れの道理なりや。師答て曰く、只造作なく成る物と思ふ故に皆錯る也。為し難き物と云ふ事を知つて勤めは錯るべからず。又問ふ、無理に真実を起さんとするも錯りなるへきや。師答て曰く、起し様さへ能くんは錯りあるべからずと也。
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『驢鞍橋』卷上一日人来り世間物語を為し帰る次て示して曰く、人皆一大事を忘れてたわ事計りをつきて、一生空く過す物也。あの様な者はよせ度もなし。誰も機を抜かし付けたらば、心を取るへし。忘れて守る程無くては、事に合ふて不覚を取るへし。たくみて持つ間では、時々にぬける物也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、初心行者はいかにもして真実起る様にすべし。真実起らざる先きに無理行抔し、强く坐禅抔すべからす。無理に根機を出し荒行抔すれは、性疲れ機へりて、何の用にも立たす、只在て果す也。何れも覚え有るへし気相悪き時は、常よりも心悪く成る物也。修行と云ふは機を養ひ立つる事也、故に古人も長養といへり。必ず機をへらすへからす。今時無理行をなし、亦ぬけから坐禅をなして、機へりて病者と成り、気違と成る者数を知らす。只志を進め真実を起すへしと也。