驢鞍橋 / 卷下
明暦元年乙未の春、衆に示して曰く、常に鎗先につゝ懸つた如く用ゆべし。我心は常住鎗先にきつと指向ひたるか如しと也。
書き下し
明暦元年乙未の春、衆に示して曰く、常に鎗先につゝ懸つた如く用ゆべし。我心は常住鎗先にきつと指向ひたるか如しと也。
現代語訳
明暦元年(一六五五)乙未の春、衆に示して言われた。いつも槍先に突っかかっていくように用いなさい。私の心は、いつも槍先にきっと差し向かっているようである、と。
解説
正三が亡くなる年、明暦元年の春の言葉である。いつも槍の穂先に向かって突き進むような心で過ごせ、自分の心は常に槍先に向き合っている、と。死を目前にした七十七歳の正三が、なお戦場に立つ武士の緊張感を保ち続けていた。修行の完成を誇るのではなく、最後まで刃の前に立つ心を失わない。晩年に至るまで一貫した、正三の果眼仏法の姿勢を凝縮した一言である。
この章句が説くこと
槍先緊張感晩年明暦元年一貫果眼仏法
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