驢鞍橋 / 卷上
一日衆に謂て曰く、佛法に入る性、入らさる性を見知りたるや。一僧曰く、大略見え候也。先程兩人來るもの、一人は少し性明く見え、一人は如何にも暗く見え申す也。師聞て曰、能く見られたり、彼らは我も如是見る。好し好し其如く人を見知るべし。我始め煆鍊無き時、誰をも彼をも一つに思ひ、人每に成る物と計り思ひて、人を見知らさりしと也。
新字:一日衆に謂て曰く、仏法に入る性、入らさる性を見知りたるや。一僧曰く、大略見え候也。先程両人来るもの、一人は少し性明く見え、一人は如何にも暗く見え申す也。師聞て曰、能く見られたり、彼らは我も如是見る。好し好し其如く人を見知るべし。我始め煆錬無き時、誰をも彼をも一つに思ひ、人毎に成る物と計り思ひて、人を見知らさりしと也。
書き下し
一日衆に謂て曰く、仏法に入る性、入らさる性を見知りたるや。一僧曰く、大略見え候也。先程両人来るもの、一人は少し性明く見え、一人は如何にも暗く見え申す也。師聞て曰、能く見られたり、彼らは我も如是見る。好し好し其如く人を見知るべし。我始め煆錬無き時、誰をも彼をも一つに思ひ、人毎に成る物と計り思ひて、人を見知らさりしと也。
現代語訳
ある日、衆に言われた。仏法に入る性分と、入らない性分を見分けているか。一人の僧が言った。おおよそ見えます。先ほど来た二人のうち、一人は少し性分が明るく見え、一人はいかにも暗く見えます。師は聞いて言われた。よく見られた。あの二人は、私もそのように見る。よしよし、そのように人を見分けなさい。私は初め、鍛錬がなかったとき、誰も彼も同じように思い、人ごとに成れるものだとばかり思って、人を見分けられなかった、と。
解説
人の性分を見分ける目を、正三は弟子に養わせようとしている。訪ねてきた二人の性分を的確に言い当てた弟子を、よく見たと褒める。そして自分も若いころは、誰でも同じようにできると思い込み、人を見分けられなかった、と振り返る。人を見る目は、経験と鍛錬によって養われる。全員を同じように扱うのが公平だと考えがちだが、一人ひとりの性分を見極めることが、適切な導きの出発点になる。
この章句が説くこと
人を見る目性分鍛錬育成見極め経験
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『後世への最大遺物』第二回・心のままを書けばそれが文学これはまったく外からの雑りのない、もっとも純粋なる英語であるだろう」と申しました。そうして、かくも有名なる本は何であるかというと、無学者の書いた本であります。それで、もしわれわれにジョン・バンヤンの精神がありますならば、すなわちわれわれが他人から聞いたつまらない説を伝えるのでなく、自分の拵えた神学説を伝えるでなくして、私はこう感じた、私はこう苦しんだ、私はこう喜んだ、ということを書くならば、世間の人はどれだけ喜んでこれを読むか知れませぬ。今の人が読むのみならず、後世の人も実に喜んで読みます。バンヤンは実に「真面目なる宗教家」であります。心の実験を真面目に表わしたものが英国第一等の文学であります。それだによって、われわれのなかに文学者になりたいと思う観念を持つ人がありまするならば、バンヤンのような心を持たなくてはなりません。彼のような心を持ったならば、実に文学者になれぬ人はないと思います。