驢鞍橋 / 卷下
何某殿語て曰く、先年吾女共死せし時、朦氣して途方に暮れたり。時に正三廣間の口に出て、その腐物早く持去て打捨てよと、高聲に下知して寺に遣し給ふ。この聲を聞くと、ふと心開けて胸安くなりたり。爰を以て思ふに、よき人の引導を受けば、必ず助るへき道理也。然るに今時引導坊主抔を擇はざるは、非義なこと哉と也。
新字:何某殿語て曰く、先年吾女共死せし時、朦気して途方に暮れたり。時に正三広間の口に出て、その腐物早く持去て打捨てよと、高声に下知して寺に遣し給ふ。この声を聞くと、ふと心開けて胸安くなりたり。爰を以て思ふに、よき人の引導を受けば、必ず助るへき道理也。然るに今時引導坊主抔を択はざるは、非義なこと哉と也。
書き下し
何某殿語て曰く、先年吾女共死せし時、朦気して途方に暮れたり。時に正三広間の口に出て、その腐物早く持去て打捨てよと、高声に下知して寺に遣し給ふ。この声を聞くと、ふと心開けて胸安くなりたり。爰を以て思ふに、よき人の引導を受けば、必ず助るへき道理也。然るに今時引導坊主抔を択はざるは、非義なこと哉と也。
現代語訳
某殿が語って言った。先年、私の妻が死んだとき、心が乱れて途方に暮れた。そのとき正三が広間の入り口に出て、その腐ったものを早く持ち去って打ち捨てよ、と高い声で指図して、寺に送らせられた。この声を聞くと、ふと心が開けて、胸が安らかになった。ここから思うに、良い人の引導を受ければ、必ず助かるはずの道理である。それなのに、今どき引導の坊主などを選ばないのは、道理にはずれたことだな、という。
解説
妻を亡くして途方に暮れていた武士は、正三が、その腐ったものを早く持って行って捨てよ、と大声で指図するのを聞いて、ふと心が開け、胸が安らいだ、と語る。冷酷に聞こえる言葉が、遺体への執着に囚われて動けなくなった心を断ち切った。慰めの言葉より、執着を一刀両断する強い一言が救いになることがある。だから弔う人は選ぶべきだ、という武士の実感がこもる。
この章句が説くこと
死別引導執着を断つ一喝救い悲しみ
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日亡者弔ひの次て、師愕然として曰く、皆人計りを弔ふ弔ふと思つて、我も頓て弔らはるへしと云ふ事を知らず。仮にも思ひよらず、只有りて俄に詰りてぎくついて死す。さても暗き物哉と也。
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『驢鞍橋』卷下又語て曰く、人死せは、先つ早くよき人に吊はせたきこと也。俗人になりとも、他念なく念仏を申させたし。その故は亡魂うろうろとして物に取着きたがるもの也。この時よき人に吊はせば、その儘善心に取着く筈也。悪知識に吊はせば、機忽ち悪に移るべし。はや悪に移りたる後に、善人に吊はするとも、善心移り難かるへき也。又曰く、生霊よりも、死霊は治めやすし。生霊は何としても体を持て居る間、念强くして、善機移ること遅し。死霊は体なく、中有にたゝよひ、何くへなりとも便り度思ふ間、善を修すれは、ひしとその機を得る也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る処へ至り玉ふに、其家の代官知行処へ往くとて、途中にて少し煩ひ死しける由申来る。師聞き愕然として曰く、扨々不便千万の事哉、我をも娑婆をも実に有ると思ひ居て俄に死す。苦み計り難し、嘆痛敷事也。爰を以て思へは少し志有りて、今か今かと片腰懸けたる様にも思ひ居る者は、亦大なる徳也。其日さまざまの事有り、晩に至りて曰く、一日徒に飮食したり、闇魔王に腹を打破られんすよと也。
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『驢鞍橋』卷上一日人来り曰く、我死せは其儘袋に入れて焼くへしと常々申付くる也。師聞て曰く、昔異国に世に知られたる兵有り、彼其方の如く遺言して其儘死骸を埋めしめたり。時の人是れを死ぬる事は得たれ共、からたを捨つる事を得すと、詩に迄作りて批判せし事有り。然る間其方も只捨てらるへし、願くは犬鳥に喰はせたるも好き也。
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『驢鞍橋』卷下その下炬を聞けば、不生不滅不去不来無我無人無住所本来空虚空同体抔と云ふ、是れどてのことと思ふて云はるゝや。不相応の下炬也。なせ然らは供を好みたる人の下炬を、如何にも善住所に大名と生れ富貴万福万歳楽と造らざるや。扨て扨てすぢなきこと哉是程の理さへ知らさる土坊主計にて、世界は無明の闇となること口惜しき次第也。是非とも此の道理、御公義へ申上度思へども未た天道に許されず、御坊主達一絡索必す覚え置るべしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日曰く、我六十余に成りてより、心相の一つ替はる事有り、亡者を吊ふにひしと心に請取り、身に引懸けて弔ふ位有り、或は火中に飛込んで苦に代る心に成り、或は翅籠有るをつゝと出て助けんと思ふ機の位に成り、或は子供堀堆に落つるを飛込んで取つて指上げる心相に成り、中々强う請取る也。総して亡者弔ひに出づると早や機自ら果し眼に成る也。