驢鞍橋 / 卷下
一日、去る大名の奥方のでせ來て、後世の用心を問ふ。師小歌を以て後世を願ふべしと云つて、これを歌はせ給ふ。彼者便ち歌ふ。師聞て曰く、その哀れなる聲美しびれたるふしを本とせず、胴から聲を張出して、あふなげなく歌ふべし。常に如是せば、自然に禪定機を覺ゆべし。能く熟せば歌はさる時も、其機用ゐらるべしと也。
新字:一日、去る大名の奥方のでせ来て、後世の用心を問ふ。師小歌を以て後世を願ふべしと云つて、これを歌はせ給ふ。彼者便ち歌ふ。師聞て曰く、その哀れなる声美しびれたるふしを本とせず、胴から声を張出して、あふなげなく歌ふべし。常に如是せば、自然に禅定機を覚ゆべし。能く熟せば歌はさる時も、其機用ゐらるべしと也。
書き下し
一日、去る大名の奥方のでせ来て、後世の用心を問ふ。師小歌を以て後世を願ふべしと云つて、これを歌はせ給ふ。彼者便ち歌ふ。師聞て曰く、その哀れなる声美しびれたるふしを本とせず、胴から声を張出して、あふなげなく歌ふべし。常に如是せば、自然に禅定機を覚ゆべし。能く熟せば歌はさる時も、其機用ゐらるべしと也。
現代語訳
ある日、ある大名の奥方の侍女が来て、後世の心得を尋ねた。師は、小歌で後世を願いなさい、と言って、これを歌わせられた。その者はすぐに歌った。師は聞いて言われた。その哀れな声や、なまめかしい節回しを本とせず、胴から声を張り出して、危なげなく歌いなさい。常にこのようにすれば、自然に禅定の気迫を覚えるだろう。よく熟せば、歌っていないときにも、その気迫を用いられるだろう、と。
解説
後世の心得を尋ねた侍女に、正三は、小歌を歌って後世を願え、と言い、その場で歌わせる。そして、哀れっぽい声や艶っぽい節回しではなく、腹の底から声を張って、揺るぎなく歌え、と指導する。そうすれば自然に禅定の気迫が身につき、歌わないときにもその気迫が使えるようになる、と。日頃親しんでいる歌を、そのまま心を鍛える道にする。相手の生活に即した、正三らしい具体的な導き方である。
この章句が説くこと
小歌発声禅定侍女方便日常
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下夜の次曰く、我常に謡を坐禅の機に用ゐよと云ふこと、何れも実にもと思はるゝや。一僧曰く、用ゐることを得ず、分別には好く肯ふと云ふ。師曰く、何には因らぬ、なるほど機を强く、ぬんと用ゐて、娑婆の念を去り習ふ外なし。何としても心娑婆に負けて居るもの也。能く用心すべしと也。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る人来り曰く、此の頃無理に真実を作り起さんと仕り、様々仏法分別致しければ、胸苦く罷り成ると云ふ。師聞て曰く仏法世法一切を吐出して、只口に任せて謡を歌ひめされよ。如是して機を養はは、頓て其病は抜けんずと也。彼の人、教の如く用ひければ、忽ち本復する也
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『驢鞍橋』卷下師一日、去る処に至り給ふ時に、その家の老母七十に及ふ人有り、後世の用心を問ふ。示めして曰く、も早や先きも無き程に、習ふこともなく云ふこともないず、今死ぬ□、物言ふな物言ふなと用ゆべきと也。又其後彼に至り給ふに、老尼の曰く、此の頃、痢病を煩ひ、死に相究まりしが、もはや今程は快くなり候也。御影にて体は煩へとも、心は煩はすと云ふことを存したりと語る也。師還り衆に前事を語て曰く、真実深き様に用ゆる人は多きか、是れは流か違ふた常住死て居る也。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る侍来て曰く、某無理に真実を造り起さんと致しければ、心沈で機へる故に、此比は真実仏法を打捨て、機を調子に懸りて用ひ、謡抔謡ひ、舞抔舞ふて、少し飛走り仕りければ、不図機勇ましく成り、抜けぬ位を覚え候と云ふ。師見て曰く、扨ても能きこと哉、誠に見懸迄軽くなりめされたり、も早や捨身の位を守るべしと也。折節尾州大野船頭両人来り其坐にあり、師便ち彼等に向て曰く、其方達も此の機を受けすして叶はず。此の機だに得ば、何たる大難悪風に逢ふても、少しも動せずして自由自在に乗り得る物也。皆抜けて居るに仍て、加様の時あわてゝ、むだ死にして苦海に沈む者也。
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『驢鞍橋』卷上一日老婆二三人来り、法要を問ふ。師我何にても教ふべき事を知らずと也。良有りて不図云ふ、しぬずよしぬずよ死ぬ事を忘れずして、念仏申しめされよと也。
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『驢鞍橋』卷上一日誦経の次て示して曰く、体をすつくと持ち、機をほぞの下に落し付け、眼をすゑて誦経すべし。如是せは誦経を以て禅定の機を修し出すべし。ぬけからに成りて誦せば、功徳とも成るへからすと也。