驢鞍橋 / 卷上
誠に大病抔受けて大寒大熱して前後も知らず、わつわつと叫ぶやうの苦患を受くる抔は、生きながら我性の地獄の業を感ずる時なるべし。さあればこそ病人後世を願へば、必す無病に成る也。我もこの前は折々地獄に墮ちけるが、最早此比は不落、其故は惡夢を見さる也。又曰、就中今時出家衆は、生きながら地獄に落つべし。無道心にて信施をきられば、さなくとも死後あめうしにはならるへし。御坊主達大事也。
新字:誠に大病抔受けて大寒大熱して前後も知らず、わつわつと叫ぶやうの苦患を受くる抔は、生きながら我性の地獄の業を感ずる時なるべし。さあればこそ病人後世を願へば、必す無病に成る也。我もこの前は折々地獄に堕ちけるが、最早此比は不落、其故は悪夢を見さる也。又曰、就中今時出家衆は、生きながら地獄に落つべし。無道心にて信施をきられば、さなくとも死後あめうしにはならるへし。御坊主達大事也。
書き下し
誠に大病抔受けて大寒大熱して前後も知らず、わつわつと叫ぶやうの苦患を受くる抔は、生きながら我性の地獄の業を感ずる時なるべし。さあればこそ病人後世を願へば、必す無病に成る也。我もこの前は折々地獄に堕ちけるが、最早此比は不落、其故は悪夢を見さる也。又曰、就中今時出家衆は、生きながら地獄に落つべし。無道心にて信施をきられば、さなくとも死後あめうしにはならるへし。御坊主達大事也。
現代語訳
まことに、大病などを受けて、ひどい寒気や高熱で前後も分からず、わあわあと叫ぶような苦しみを受けるのは、生きながら自分の性分の地獄の業を感じているときなのだろう。そうであればこそ、病人が後世を願えば、必ず病が消えるのである。私も以前はときどき地獄に落ちたが、もう近ごろは落ちない。そのわけは、悪夢を見ないからである。また言われた。とりわけ今の出家衆は、生きながら地獄に落ちるだろう。道心もないのに信施を受けて着ていれば、そうでなくとも死後は牛にはなるだろう。御坊主たち、大事なことだ、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、道を知らぬは是非も無き事也。今時侍の子どもが出家して、死人の皮を剝ぎ、世を渡る者多し。究めたる非興也。菩提の為めには出家然るへし。身過の為めには非義也。百石も望むこそ苦なれ、身一つ過ぎる分は安き事也。必ず志なく無道心にして出家し、人の信施を受くへからす。一向足軽にてもして過ぎたるか能き也。世間を以て地獄に入りたるは、仏法を以て救ふ頼みあり、仏法を以て地獄に入りたる者、なにを以て救ふへきや。永劫浮ふへき便り無しと也。
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『驢鞍橋』卷下因に僧中に向て曰く、皆うつかと心得めさるゝな。去る祈禱者の身上に応してせねば、祈禱もしるしなしと云へり。誠に然るべきこと也。左もあればこそ、賤き者の病には、消災咒一返しても、その儘しるし有る也因に一僧曰く、此の頃、長崎屋の家内の者共、度に皆病ふ也、様々の業因有りと云ふ。師聞て曰く、病んす、様々念を造り出し造り出しする間、病んでかへさて叶はす、諸人皆病むべきことなるが、大略にもあるは、不思議に思はるゝ也
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『驢鞍橋』卷下扨て又無間地獄の苦と云ふも、此の身にて受る苦也。然るに此の理を知らす、此の身を秘蔵本のまゝし、却てけすりけわつて執着の念强く、日夜地獄を造り堅めて楽み居らること、扨て扨て怖しきこと哉。何れも顧て慎むべし。憎い愛い慳い貪い、妬み嫉み、扨て熱い寒い、痛い痒いと片時も安きことなく責めらるゝと、覚えめされたるか。加様に間もなき苦を受くる体を受け来るを無間と云ふ也。外より来らす。扱て又如是の苦体は何より得ると思ふや。只今各日夜造り出す念によりて得る也。
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『驢鞍橋』卷上一日聚会の次で、一僧去る病体の和尚に向つて云く、悪病抔出でざる様になさるべし。若し悪病出でば、大に人の為めに怨と成るべし。師聞て曰く、扨も詮なき事を云ふ人かな、如何なる病をか受け、如何なる死をかせん。我人知られてこそ因果次第也。従今分別するとも争かあたらんや。唯今修する処にこそ詮議はあれ、後はひつてひり破つても、死にめされよ。只死しても奇麗にもをりないぞ、野に成りとも山に成りとも只捨てめされよと也。
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『驢鞍橋』卷上又云、扨もたわけた事哉。喰はねば飢るし、着ねば寒し、洗はねばむさし、夏は熱し、扨痛し痒し、何の用にも無き物を楽む事哉。如是秘蔵して何の為めぞと思へば、日夜悪業計りを作して、永刧の苦因となす。極めて愚なる事に非ずや。只能く此道理を信得して、此からだに離るべき也。嗚呼是非に及ばぬは、今時の出家此道理を忘れ、仏法を外に心得、悟を求め、見解を求め、経文語録に着し、剰へ名聞利養に住す。法の筋の差ふたる事天地遥也。当寺の衆も爰に於て大に驚き、飛んて出づる程思はれずんば、何の詮も有るべからずと也。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る病者に向て曰く、病は好き菩提の種也。然れとも只好く成りたいと計り思つて、只在て果すらんと也。