驢鞍橋 / 卷下
去る曉、衆中に向て曰く、扨てもたわけたこと哉、何の變も無い物を樂むこと也。立つも苦、居るも苦、熱も苦、寒も苦、痛も苦、痒も苦、病苦死苦有り、扨て又隨ふを愛し、背くを怨み、扨て扨ていやな苦体哉。平生此の道理計を考へたるか能き也。誠に此の腐物に付で一として樂むべきこと無きか、何としても秘藏にて居る也。
新字:去る暁、衆中に向て曰く、扨てもたわけたこと哉、何の変も無い物を楽むこと也。立つも苦、居るも苦、熱も苦、寒も苦、痛も苦、痒も苦、病苦死苦有り、扨て又随ふを愛し、背くを怨み、扨て扨ていやな苦体哉。平生此の道理計を考へたるか能き也。誠に此の腐物に付で一として楽むべきこと無きか、何としても秘蔵にて居る也。
書き下し
去る暁、衆中に向て曰く、扨てもたわけたこと哉、何の変も無い物を楽むこと也。立つも苦、居るも苦、熱も苦、寒も苦、痛も苦、痒も苦、病苦死苦有り、扨て又随ふを愛し、背くを怨み、扨て扨ていやな苦体哉。平生此の道理計を考へたるか能き也。誠に此の腐物に付で一として楽むべきこと無きか、何としても秘蔵にて居る也。
現代語訳
ある明け方、衆に向かって言われた。さても愚かなことだな、何の変わりもないものを楽しむとは。立つのも苦、座るのも苦、暑いのも苦、寒いのも苦、痛いのも苦、痒いのも苦、病苦も死苦もある。そのうえ、自分に従うものを愛し、背くものを怨む。さてさて、嫌な苦の体だな。平生、この道理ばかりを考えているのがよい。まことにこの腐りものについて、一つとして楽しむべきことはないのに、どうしても大切にしているのである。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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『驢鞍橋』卷上又云、扨もたわけた事哉。喰はねば飢るし、着ねば寒し、洗はねばむさし、夏は熱し、扨痛し痒し、何の用にも無き物を楽む事哉。如是秘蔵して何の為めぞと思へば、日夜悪業計りを作して、永刧の苦因となす。極めて愚なる事に非ずや。只能く此道理を信得して、此からだに離るべき也。嗚呼是非に及ばぬは、今時の出家此道理を忘れ、仏法を外に心得、悟を求め、見解を求め、経文語録に着し、剰へ名聞利養に住す。法の筋の差ふたる事天地遥也。当寺の衆も爰に於て大に驚き、飛んて出づる程思はれずんば、何の詮も有るべからずと也。
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『驢鞍橋』卷下扨て又無間地獄の苦と云ふも、此の身にて受る苦也。然るに此の理を知らす、此の身を秘蔵本のまゝし、却てけすりけわつて執着の念强く、日夜地獄を造り堅めて楽み居らること、扨て扨て怖しきこと哉。何れも顧て慎むべし。憎い愛い慳い貪い、妬み嫉み、扨て熱い寒い、痛い痒いと片時も安きことなく責めらるゝと、覚えめされたるか。加様に間もなき苦を受くる体を受け来るを無間と云ふ也。外より来らす。扱て又如是の苦体は何より得ると思ふや。只今各日夜造り出す念によりて得る也。
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『驢鞍橋』卷下去る暁曰く、扨てもいやな体哉と飽き果て居る也。またも法が何とず起らんずかと思ふてかくしても居ると也。
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『驢鞍橋』卷中一、六右息女出家望のよし、尤に候。若し出家候は、不浄観を与へ可被申候。此の身は煩悩悪業の身也、不浄汚穢の身也、五臓六腑を思ふに、中々不浄至極せり。目汁鼻汁耳垢膿唾、毛の穴より出る汗、大小便、此の臭皮袋に著て六根門より出る也。何を以て是れを清めんや。又此の体を能く見るに、赤き肉はうじと成る、臭気如何はかりならんや。此の骨はれておそろし。白き頭は見るもかなし。此の身にそなはる苦患は、生老病死の四つあり。求不得苦、怨憎会苦、愛別離苦、五盛陰苦の四にあり。合せて之を八苦と云ふ。又十悪あり。殺生、偸盗、邪婬は、身に着て三つの科なり。妄語、綺語、悪口、両舌は、口に著て四の科也。貪欲、瞋恚、愚痴は、心に着て三の科也。合せて十悪といへり。然れは此の身に着て何の楽かあり、何の善根かあり、何の清浄かあるや。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、此身元より有るにあらず、始めは一滴にして次第に大に成り、人間の体と成る。元来是れ悪業煩悩のかたまりにて、不浄なる物也。目汁鼻汁大小便、一つとして清き事なし。扨その中に包み来るみあげは何なれば、先づ菩提心をも持ち来らす、慈悲心をも持ち来らす、只悪い愛い怪い食いと三毒を根本として、四苦八苦十悪五逆八万四千の悪業煩悩計りを包み来りて、一生此念に責められ、永劫悪趣に輪廻し、大苦を受くる事口惜きにあらずや。深く此道理を信して此腐れ肉に惑はさるべからず。此身を思ふ念をさへ離れば、安楽なるべし。喩へば人来りて頸を乞はんに、指出してなにともなく取らするほどに至らば、何の苦みかあらんや。亦何の煩悩か碍らんやと也。
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『驢鞍橋』卷下一日去る人自己を守らんとするに、取着き処無くして守れぬと云ふに示して曰く、中々好き合手こそあれ。先つ此身痛く痒く熱く寒く、四苦八苦満み満み不浄は積て湛へたり。扨て心中には八万四千の悪業煩悩の苦有り、やれやれいやな体哉。あな憎くの心め哉と此身心を合手にして、きつと睨付けて守るべし。之に增したる合手有らんや。我は始めより憂かりこの機がきつと備はり、此身に使はれ責めらるゝことかうゝて有りしに仍て、抜かしたうても自ら抜けす。左なき人は我悪いことに眼を付けて守るの外なし。必ずこの糞袋を合手にして、きつと張合て守るへし。如是なしてこそ、二王の機と云ふことをも知り、実も薄く成り、心も次第に自由に成るべし。総じて修行は、今使はるゝ様にすへき也。