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驢鞍橋 / 卷下

夜話に曰く、何某の母は、不思議の女人ではをりないか、この頃思付にて、早や張合の機を覺に、平生器物に水抔入れ持居たるを、さつとこぼしたき心のやうにありと云はれけるか、眞に見懸迄進んで見ゆる也。今日も次の間に出て、女共のぐどつくを見て、やれなまけた者共哉、此の機を用ゐて物を爲せとて、其儘立て二王のまねをせられたり。我ちよつと見けるが、少しも笑げなし。女人の此のまねは、をかしらんずことじやか、中々笑けなし。少し二王の機受けられたるかと思ふ。左無くんばせらるべからす。其故は今各立てまねて看られよ、中々笑かるべき也。又先日も、此の人二王を造らせらるゝに出來し來るを見て、不圖阿二王の機移り、一切を吐出したる樣に有りと云はれけるが、誠に氣色替て見えたり。知らぬ者は、機違女とこそ云はんずと也。

新字:夜話に曰く、何某の母は、不思議の女人ではをりないか、この頃思付にて、早や張合の機を覚に、平生器物に水抔入れ持居たるを、さつとこぼしたき心のやうにありと云はれけるか、真に見懸迄進んで見ゆる也。今日も次の間に出て、女共のぐどつくを見て、やれなまけた者共哉、此の機を用ゐて物を為せとて、其儘立て二王のまねをせられたり。我ちよつと見けるが、少しも笑げなし。女人の此のまねは、をかしらんずことじやか、中々笑けなし。少し二王の機受けられたるかと思ふ。左無くんばせらるべからす。其故は今各立てまねて看られよ、中々笑かるべき也。又先日も、此の人二王を造らせらるゝに出来し来るを見て、不図阿二王の機移り、一切を吐出したる様に有りと云はれけるが、誠に気色替て見えたり。知らぬ者は、機違女とこそ云はんずと也。

書き下し

夜話に曰く、何某の母は、不思議の女人ではをりないか、この頃思付にて、早や張合の機を覚に、平生器物に水抔入れ持居たるを、さつとこぼしたき心のやうにありと云はれけるか、真に見懸迄進んで見ゆる也。今日も次の間に出て、女共のぐどつくを見て、やれなまけた者共哉、此の機を用ゐて物を為せとて、其儘立て二王のまねをせられたり。我ちよつと見けるが、少しも笑げなし。女人の此のまねは、をかしらんずことじやか、中々笑けなし。少し二王の機受けられたるかと思ふ。左無くんばせらるべからす。其故は今各立てまねて看られよ、中々笑かるべき也。又先日も、此の人二王を造らせらるゝに出来し来るを見て、不図阿二王の機移り、一切を吐出したる様に有りと云はれけるが、誠に気色替て見えたり。知らぬ者は、機違女とこそ云はんずと也。

現代語訳

夜話で言われた。某の母は、不思議な女性ではないか。近ごろ思いついて、早くも張り合いの気迫を覚えて、平生、器に水などを入れて持っているのを、さっとこぼしたいような心持ちだ、と言われたが、まことに見かけまで進んで見える。今日も次の間に出て、女たちがぐずぐずしているのを見て、やれ、怠けた者たちだな、この気迫を用いて物をしなさい、と言って、そのまま立って仁王のまねをされた。私はちょっと見たが、少しもおかしげがない。女性がこのまねをするのはおかしいはずのことだが、まったくおかしくない。少し仁王の気迫を受けられたかと思う。そうでなければ、できるものではない。そのわけは、今、誰でも立ってまねてみなさい、ずいぶんおかしいはずである。また先日も、この人が仁王を造らせておられたところ、出来上がってきたのを見て、ふと阿形の仁王の気迫が移り、一切を吐き出したようである、と言われたが、まことに顔色が変わって見えた。知らない者は、気の違った女とこそ言うだろう、と。

解説

正三が勧めた仁王の気迫を身につけたある老母の話である。器の水をさっとこぼしたくなるような張りを覚え、怠ける女中たちの前で仁王のまねをして見せたが、少しもおかしくなかった、と正三は感心する。気迫が本当に身についているから滑稽に見えないのだ、と。本物の気迫は、形の真似とは違って人を黙らせる力がある。知らない者は気が違ったと言うだろう、と言いつつ、年齢も性別も超えて体得した人への深い敬意がこもる。

この章句が説くこと

仁王の気迫女性体得本物老母敬意

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