驢鞍橋 / 卷下
去る曉云ふ、總身に入渡つて大事に成て居るが、まだ隙明かぬ也。扨て扨て古人抔の修しをゝせられたると云ふは、でかう强い修行なるべしと也。
新字:去る暁云ふ、総身に入渡つて大事に成て居るが、まだ隙明かぬ也。扨て扨て古人抔の修しをゝせられたると云ふは、でかう强い修行なるべしと也。
書き下し
去る暁云ふ、総身に入渡つて大事に成て居るが、まだ隙明かぬ也。扨て扨て古人抔の修しをゝせられたると云ふは、でかう强い修行なるべしと也。
現代語訳
ある明け方言われた。全身に行き渡って大事になっているが、まだ暇が明かないのである。さてさて、古人などが修め果たされたというのは、とてつもなく強い修行だったのだろう、と。
解説
修行の切実さが全身に行き渡っているのに、まだ決着がつかない、と晩年の正三は明け方に漏らす。そして、古人が修行をやり遂げたというのは、とてつもなく強い修行だったに違いない、と。自分がこれほど打ち込んでもなお届かないからこそ、やり遂げた先人の偉大さが実感として分かる。自ら深く取り組んだ人だけが持てる、先人への本当の敬意が表れた短い条である。
この章句が説くこと
先人への敬意修行晩年決着実感切実
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下去る暁ふと曰く、われ只今しぬと云ふきに成り、ひして迫て居る也。久しく如是有る間、最はやひまあかんずことじやが、扨て扨てかたき物哉と也。
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『驢鞍橋』卷下去る暁曰く、扨てもいやな体哉と飽き果て居る也。またも法が何とず起らんずかと思ふてかくしても居ると也。
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『驢鞍橋』卷下己の五月廿八日の暁曰く、御坊主達もきつと弓を張りたるか如く、張合の心出るや、扨て又痛い痒いと、一切に付ていやな体哉と、きつと境界と張合て居る心有るやと也。去る者、何某病気なるが、一定死に窮て居ると語る。師聞て曰く、扨ても强者哉、是れ貴き人也。老病究りても、心しに切れぬ物也。
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、修行と云ふ物、中中上り難き物也。我今十二時中坐禅ならさる事なし。喩へは大勢に交り、上下へかえし、相撲を取り、躍をゝとり、何程はね狂ひたりとも、坐禅の機少しもたじろくへからす。また好く若き時より心つきて自己を守りしが、其時分よりはや念には勝つてばかされざる也。夫れより次第よく修しつめ何たる事にもたじろかぬほどに仕付けたれども、まだ夫れでも生死の為めには不成、中々大儀な物也。
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『驢鞍橋』卷下巳の七月十日暁云はく、仏像程に仕付て叶はす、我此の前は、强弓を引張つた如く有りけるか、今は左様になし。然れともたるむ筈なし。少し熟したるかとも思ふ也。又曰く、夢中ともいきをつくほどに大事に成り居れとも、まだあまのじやくか出る也。されどももはやことはせず、夫れは随分仕付て、面上はさせん也。强く守ていやな物哉いやな物哉もきつと睨付て居れども、何として此の体たが我物に成て、隙明かす、是れも普化の境界が乗りたて、修行やうたらぬと云ふことを知りたると也。
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、古の祖師達にも、修行熟せるは少しと見えたり。大方小見解を是とし、経文語録を以て法語を書き、教化抔して語録等を残されたると思ふ也。なければこそ强く心を修した位を、誰でも書き残したる人なし。皆心安く隙を明けて成らぬと云ふ事を云ひ置きたる人なし。我は末世に残すならば、何とも成らぬ物ぢやと云ふ事を書付けて残すへしと也。