驢鞍橋 / 卷上
一日或る俗來て曰く、承り及ふ故に是れ迄伺候仕る、一句示し給へ。師曰く、一人虛を傳ふれば、万人實と傳ふとて何者かおどけ者有りて、正三こそ名譽者なれ抔といへば、末々に聞き傳へ、扨は空をも翅り、光をも放つか抔と思ひ、正三見物に來り、變も無き老人なるを見て、皆興を醒さるゝ也。誠に我何の變もなき土禪門也。只死度くも無き間、何とぞして殺さるゝ事有りとも、何とも思はす、頸を指出して自由に死ぬ程に成りたさに修する也。されとも死は置いて餓鬼畜生を出でぬ也。是れを出度く思ふ心は、何とも思はず居る者には增さるへき歟。別に人に增りたる事無し。其方も聞かんと思はゝ一向のしろうとに成りめさるへし。彼者、秘し給ふと思ひ彌示し給へと云ふ。師曰く、我佛法の能き事を知らず、只我惡敷事を能く知りたる也。我友に成り、出入めされば、何時も我處に有る餓鬼畜生を懺悔して聞かせ申すべし。實に是の外によき事を知らず、ひげして云ふかと思ひめされんずな。無間に沈むほうぞ知らぬ也。
新字:一日或る俗来て曰く、承り及ふ故に是れ迄伺候仕る、一句示し給へ。師曰く、一人虚を伝ふれば、万人実と伝ふとて何者かおどけ者有りて、正三こそ名誉者なれ抔といへば、末々に聞き伝へ、扨は空をも翅り、光をも放つか抔と思ひ、正三見物に来り、変も無き老人なるを見て、皆興を醒さるゝ也。誠に我何の変もなき土禅門也。只死度くも無き間、何とぞして殺さるゝ事有りとも、何とも思はす、頸を指出して自由に死ぬ程に成りたさに修する也。されとも死は置いて餓鬼畜生を出でぬ也。是れを出度く思ふ心は、何とも思はず居る者には增さるへき歟。別に人に增りたる事無し。其方も聞かんと思はゝ一向のしろうとに成りめさるへし。彼者、秘し給ふと思ひ弥示し給へと云ふ。師曰く、我仏法の能き事を知らず、只我悪敷事を能く知りたる也。我友に成り、出入めされば、何時も我処に有る餓鬼畜生を懺悔して聞かせ申すべし。実に是の外によき事を知らず、ひげして云ふかと思ひめされんずな。無間に沈むほうぞ知らぬ也。
書き下し
一日或る俗来て曰く、承り及ふ故に是れ迄伺候仕る、一句示し給へ。師曰く、一人虚を伝ふれば、万人実と伝ふとて何者かおどけ者有りて、正三こそ名誉者なれ抔といへば、末々に聞き伝へ、扨は空をも翅り、光をも放つか抔と思ひ、正三見物に来り、変も無き老人なるを見て、皆興を醒さるゝ也。誠に我何の変もなき土禅門也。只死度くも無き間、何とぞして殺さるゝ事有りとも、何とも思はす、頸を指出して自由に死ぬ程に成りたさに修する也。されとも死は置いて餓鬼畜生を出でぬ也。是れを出度く思ふ心は、何とも思はず居る者には增さるへき歟。別に人に增りたる事無し。其方も聞かんと思はゝ一向のしろうとに成りめさるへし。彼者、秘し給ふと思ひ弥示し給へと云ふ。師曰く、我仏法の能き事を知らず、只我悪敷事を能く知りたる也。我友に成り、出入めされば、何時も我処に有る餓鬼畜生を懺悔して聞かせ申すべし。実に是の外によき事を知らず、ひげして云ふかと思ひめされんずな。無間に沈むほうぞ知らぬ也。
現代語訳
ある日、ある俗人が来て言った。お噂をうかがってここまで参上しました。一句お示しください。師は言われた。一人が嘘を伝えれば万人が本当として伝える、というように、誰かおどけ者がいて、正三こそ名誉の者だなどと言えば、末々まで聞き伝えて、それでは空をも飛び、光も放つのかなどと思い、正三見物に来るが、何の変わりもない老人を見て、みな興ざめするのである。本当に私は何の変わりもない田舎の禅門である。ただ死にたくもないので、どうにかして殺されることがあっても、何とも思わず、首を差し出して自由に死ねるほどになりたくて修行しているのである。けれども、死はさておき、餓鬼畜生の心を出られない。これを出たいと思う心は、何とも思わずにいる者よりはまさっているだろうか。別に人にまさったことはない。あなたも聞こうと思うなら、ただの素人になりなさい。その者は、隠していらっしゃるのだと思い、もっとお示しください、と言う。師は言われた。私は仏法の良いことを知らない。ただ自分の悪いことをよく知っているのである。私の友になって出入りされるなら、いつでも私の中にいる餓鬼畜生を懺悔して聞かせてあげよう。本当にこれ以外に良いことを知らない。謙遜して言っているのかと思わないでくれ。無間地獄に沈む者のことは知らないのである。
解説
この章句が説くこと
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