驢鞍橋 / 卷下
師始め室を閉つといへとも、末後兩三日に至て諸人の見舞を致すことを許し給ふ。時に一僧なほなほ法要を示し給へと云ふ。師はつたと睨んて曰く、何と云ふ□、我三十年云ふことをえうけずして、左樣のことを云ふか、正三は死ぬと也。その後法要を問ふ者なし。時に明暦元年乙未六月二十五日申の刻、安然として遷化し給ふ也。
新字:師始め室を閉つといへとも、末後両三日に至て諸人の見舞を致すことを許し給ふ。時に一僧なほなほ法要を示し給へと云ふ。師はつたと睨んて曰く、何と云ふ□、我三十年云ふことをえうけずして、左様のことを云ふか、正三は死ぬと也。その後法要を問ふ者なし。時に明暦元年乙未六月二十五日申の刻、安然として遷化し給ふ也。
書き下し
師始め室を閉つといへとも、末後両三日に至て諸人の見舞を致すことを許し給ふ。時に一僧なほなほ法要を示し給へと云ふ。師はつたと睨んて曰く、何と云ふ□、我三十年云ふことをえうけずして、左様のことを云ふか、正三は死ぬと也。その後法要を問ふ者なし。時に明暦元年乙未六月二十五日申の刻、安然として遷化し給ふ也。
現代語訳
師は始め部屋を閉ざしておられたが、最後の二、三日になって、人々が見舞うことを許された。そのとき一人の僧が、なおなお法要をお示しください、と言った。師ははったと睨んで言われた。何と言う□。私が三十年言ってきたことを受け止めないで、そのようなことを言うのか。正三は死ぬのである、と。その後、法要を尋ねる者はいなかった。そして明暦元年乙未六月二十五日申の刻(午後四時ごろ)、安らかに遷化された。
解説
最期の数日、見舞いを許された正三に、ある僧が、なお教えの要を示してほしい、と求めた。正三は睨みつけ、三十年言い続けたことを受け止めずに、今さらそんなことを言うのか、正三は死ぬのだ、と答えた。この厳しい一言が最後の教えとなり、明暦元年六月二十五日、七十七歳で安らかに息を引き取った。最期の言葉を求めるより、日頃聞いてきた言葉を受け止めよ、という痛烈な結びである。
この章句が説くこと
遷化最後の教え明暦元年受け止める師の死厳しさ
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