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驢鞍橋 / 卷上

夜話の次て一僧曰く、佛法にて世を治むるならば、死罪の義有間敷間、治まり難かるべし。師曰、其義に非ず、切るへきを切り、殺すべきを殺す也。然れとも慈悲を以てする也。喩へば天罰當りて一生癩と成り、非人と成る者多けれとも、少しも是れを厭ふ心なく、我惡心を樂み居るに非すや。故に生々世々惡因を離れず、世人も見て淺間敷思ひたる計り也。何の功德もなし。然るに只今惡人をはり付けに掛ければ、世人見て先づ惡心を戒むる也。然れば世の爲めに善根を爲す。是れ一つ。亦自らも俄にゆき當り、思ひ悔ひて惡心の根を切る也。爰を以て思へば前の樣に大なる罰にて、彌永く苦因を増すさへ有るに、是れは罰は少しにて惡因の根を切らするは大慈大悲に非すや。慈悲を以てせば罪とも成るべからすと也。

新字:夜話の次て一僧曰く、仏法にて世を治むるならば、死罪の義有間敷間、治まり難かるべし。師曰、其義に非ず、切るへきを切り、殺すべきを殺す也。然れとも慈悲を以てする也。喩へば天罰当りて一生癩と成り、非人と成る者多けれとも、少しも是れを厭ふ心なく、我悪心を楽み居るに非すや。故に生々世々悪因を離れず、世人も見て浅間敷思ひたる計り也。何の功徳もなし。然るに只今悪人をはり付けに掛ければ、世人見て先づ悪心を戒むる也。然れば世の為めに善根を為す。是れ一つ。亦自らも俄にゆき当り、思ひ悔ひて悪心の根を切る也。爰を以て思へば前の様に大なる罰にて、弥永く苦因を増すさへ有るに、是れは罰は少しにて悪因の根を切らするは大慈大悲に非すや。慈悲を以てせば罪とも成るべからすと也。

書き下し

夜話の次て一僧曰く、仏法にて世を治むるならば、死罪の義有間敷間、治まり難かるべし。師曰、其義に非ず、切るへきを切り、殺すべきを殺す也。然れとも慈悲を以てする也。喩へば天罰当りて一生癩と成り、非人と成る者多けれとも、少しも是れを厭ふ心なく、我悪心を楽み居るに非すや。故に生々世々悪因を離れず、世人も見て浅間敷思ひたる計り也。何の功徳もなし。然るに只今悪人をはり付けに掛ければ、世人見て先づ悪心を戒むる也。然れば世の為めに善根を為す。是れ一つ。亦自らも俄にゆき当り、思ひ悔ひて悪心の根を切る也。爰を以て思へば前の様に大なる罰にて、弥永く苦因を増すさへ有るに、是れは罰は少しにて悪因の根を切らするは大慈大悲に非すや。慈悲を以てせば罪とも成るべからすと也。

現代語訳

夜話のついでに、一人の僧が言った。仏法で世を治めるなら、死罪ということはありえないでしょうから、治まりにくいでしょう。師は言われた。そうではない。切るべきは切り、殺すべきは殺すのである。けれども慈悲をもってするのである。たとえば、天罰が当たって一生病に苦しみ、世を捨てた身となる者は多いが、少しもこれを嫌う心がなく、自分の悪い心を楽しんでいるではないか。だから生まれ変わり死に変わりしても悪い因を離れず、世の人も見て浅ましく思うばかりである。何の功徳もない。ところが、今悪人を磔にかければ、世の人は見てまず悪い心を戒める。それならば、世のために善根をなすことになる。これが一つ。また、自らもにわかに行き詰まって、思い悔いて悪い心の根を切るのである。これで思えば、前のように大きな罰でいよいよ長く苦しみの因を増すことさえあるのに、これは罰は少しで悪い因の根を切らせるのだから、大慈大悲ではないか。慈悲をもってすれば、罪ともならないだろう、と。

解説

仏法で治めるなら死刑はできず、世は治まらないのでは、という問いに、正三は、斬るべきは斬る、ただし慈悲をもってする、と答える。刑罰は見る人の戒めになり、罰を受ける本人にも悪の根を断つ機会を与える、という論理である。今日の人権の観点からは受け入れがたい部分もあるが、厳しい処分も、組織全体と本人の立ち直りのためという目的を忘れなければ慈悲になりうる、という考え方として読むことができる。

この章句が説くこと

刑罰慈悲統治戒め処分厳しさ

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