驢鞍橋 / 卷上
一日僧問ふ。書し玉ふ處の草分等は、實有の見にあらすや。師答て曰く中々實有の見也。凡夫心は皆實有也。扨凡夫心を以て修せずして、何を以て修せんや。今時無の見に落ちて人を損ふ類多し。或は本來空也と澄し居るあり、是れ實に甚だしき也。總して菩提を求むる有心は、有を離るゝ事有り、本來空と心得居る無心は、有を離るゝ事なし。法然抔の念佛も有心也。然れども實有の淨土を造り立て念佛する中に、無念の德備はる道理有り、今時元空也とすまし居る者は、修行せんと思ふも早や有の見也と云ふて、惡業を作り居るか如しと也。
新字:一日僧問ふ。書し玉ふ処の草分等は、実有の見にあらすや。師答て曰く中々実有の見也。凡夫心は皆実有也。扨凡夫心を以て修せずして、何を以て修せんや。今時無の見に落ちて人を損ふ類多し。或は本来空也と澄し居るあり、是れ実に甚だしき也。総して菩提を求むる有心は、有を離るゝ事有り、本来空と心得居る無心は、有を離るゝ事なし。法然抔の念仏も有心也。然れども実有の浄土を造り立て念仏する中に、無念の徳備はる道理有り、今時元空也とすまし居る者は、修行せんと思ふも早や有の見也と云ふて、悪業を作り居るか如しと也。
書き下し
一日僧問ふ。書し玉ふ処の草分等は、実有の見にあらすや。師答て曰く中々実有の見也。凡夫心は皆実有也。扨凡夫心を以て修せずして、何を以て修せんや。今時無の見に落ちて人を損ふ類多し。或は本来空也と澄し居るあり、是れ実に甚だしき也。総して菩提を求むる有心は、有を離るゝ事有り、本来空と心得居る無心は、有を離るゝ事なし。法然抔の念仏も有心也。然れども実有の浄土を造り立て念仏する中に、無念の徳備はる道理有り、今時元空也とすまし居る者は、修行せんと思ふも早や有の見也と云ふて、悪業を作り居るか如しと也。
現代語訳
ある日、僧が尋ねた。お書きになった『草分』などは、実有の見方ではないでしょうか。師は答えて言われた。なかなか実有の見方である。凡夫の心はみな実有である。さて、凡夫の心で修めずに、何によって修めようか。今どき、無の見方に落ちて人を損なう類が多い。あるいは本来空だと澄ましているのがいる。これは本当にはなはだしい。おおよそ、菩提を求める有心は、有を離れることがあるが、本来空だと心得ている無心は、有を離れることがない。法然などの念仏も有心である。けれども、実在する浄土を造り立てて念仏するうちに、無念の徳が備わる道理がある。今どき、もともと空だと澄ましている者は、修行しようと思うのもすでに有の見だと言って、悪業を作っているようなものだ、と。
解説
この章句が説くこと
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、今時の人仏法は悟らねば用に立たぬと思ふ也。其儀に非す。仏法と云ふは、只今の我心をよう用ひて、今用に立つる事なり。成程心を强う用ゆるを修行とす、心の强うなるほど次第に使はるる也。大に勤むれば大に徳有り、少し勤むれば少しの徳有り、譬へば万石取には及はねども、千石取らば百石取には勝るが如し。分々に徳を得る事也。扨亦悟入すれば、仏境界なりと思へり。そでも無き事也。縦ひ見解有るとも自由に使はるべからず。仏境界と云ふは各別の事也。只悟を求めずとも、修し行じて徳に至るべしと也。
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『墨子』魯問魯の南鄙の人に吳慮なる者有り。冬は陶し夏は耕して、自ら舜に比す。子墨子、聞きて之に見ゆ。吳慮、子墨子に謂う、「義のみ、義のみ。焉んぞ之を言うを用いんや」と。子墨子曰く、「子の所謂る義なる者は、亦た力有りて以て人を勞し、財有りて以て人に分かつか」と。吳慮曰く、「有り」と。子墨子曰く、「翟、嘗て之を計れり。翟、耕して天下の人に食わしめんことを慮る。盛んにして、然る後に一農の耕に當たる。諸を天下に分かたば、人ごとに一升の粟をも得る能わず。藉りて以て一升の粟を得と為すも、其の天下の饑を飽かしむる能わざるは、既に睹る可し。
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『後世への最大遺物』第二回・来年また会うときまでにまことに私の言葉が錯雑しておって、かつ時間も少くございますから、私の考えをことごとく述べることはできない。しかしながら私は今日これで御免をこうむって山を降ろうと思います。それで来年またふたたびどこかでお目にかかるときまでには、少くとも幾何の遺物を貯えておきたい。この一年の後にわれわれがふたたび会しますときには、われわれが何か遺しておって、今年は後世のためにこれだけの金を溜めたというのも結構、今年は後世のためにこれだけの事業をなしたというのも結構、また私の思想を雑誌の一論文に書いて遺したというのも結構、しかし、それよりもいっそう良いのは、後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた、後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた、という話を持ってふたたびここに集まりたいと考えます。
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老子・第20章学を絶てば憂い無し。唯と阿と、相去ること幾何ぞ。善と悪と、相去ること若何。人の畏るる所は、畏れざるべからず。荒としてそれ未だ央きざるかな。衆人は熙熙として、太牢を享くるが如く、春に台に登るが如し。我れ独り泊としてそれ未だ兆さず、嬰児の未だ孩わざるが如し。儽儽として帰する所無きが若し。衆人は皆な余り有るに、我れ独り遺れたるが若し。我れは愚人の心なるかな、沌沌たり。俗人は昭昭たるに、我れ独り昏昏たり。俗人は察察たるに、我れ独り悶悶たり。澹としてそれ海の若く、飂として止まる所無きが若し。衆人は皆な以うる有るに、我れ独り頑にして鄙に似たり。我れ独り人に異なりて、母に食わるるを貴ぶ。
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