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驢鞍橋 / 卷下

一日、僧問ふ。一陣に進む心と云ふは、平生人に手を出さすまじと思ふ心なりや、師曰く、夫れは我慢に云ふ物也。人も兎角と云ひしに非ず、只我身をつんと打捨て懸る入心也。果眼と云ふも、死をきつと定めたる機也。

書き下し

一日、僧問ふ。一陣に進む心と云ふは、平生人に手を出さすまじと思ふ心なりや、師曰く、夫れは我慢に云ふ物也。人も兎角と云ひしに非ず、只我身をつんと打捨て懸る入心也。果眼と云ふも、死をきつと定めたる機也。

現代語訳

ある日、僧が尋ねた。一陣に進む心というのは、平生、人に手を出させまいと思う心でしょうか。師は言われた。それは我慢(慢心)というものである。人がどうこう言ったのではない。ただ自分の身をつんと打ち捨てて懸かっていく心である。果たし眼というのも、死をきっと定めた気迫である。

解説

先陣を切って進む心とは、人に手出しをさせないという強気のことか、と問われ、正三は、それは慢心だ、と退ける。人との張り合いではなく、ただ自分の身を投げ捨てて向かっていく心のことだ、と。決死の目つきも、死を覚悟した心の構えである。攻撃的な強さや負けん気と、自分を捨てて臨む覚悟とは違う。他人を意識した強がりではなく、自分自身を手放すことから本当の勇気が生まれる、という区別である。

この章句が説くこと

捨身慢心勇気先陣果眼覚悟

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