驢鞍橋 / 卷下
去る曉衆に向て曰く、何も曉は憂い機迫るなり。又平生といきをつく機ありや。又牙ぎしりを咬む位有りや。此の機を用ゆる者なきこと是非なきこと也。御坊主達に移らさるは道理也。隨分武士を立つる人うつかと聞て居る人多し。然るに何某奧抔の女人の身にて一年二年の中聞き、早や大事起りたる抔は不思議のことに非すや。我も年久うしてこそ大事は起りたる也。
新字:去る暁衆に向て曰く、何も暁は憂い機迫るなり。又平生といきをつく機ありや。又牙ぎしりを咬む位有りや。此の機を用ゆる者なきこと是非なきこと也。御坊主達に移らさるは道理也。随分武士を立つる人うつかと聞て居る人多し。然るに何某奥抔の女人の身にて一年二年の中聞き、早や大事起りたる抔は不思議のことに非すや。我も年久うしてこそ大事は起りたる也。
書き下し
去る暁衆に向て曰く、何も暁は憂い機迫るなり。又平生といきをつく機ありや。又牙ぎしりを咬む位有りや。此の機を用ゆる者なきこと是非なきこと也。御坊主達に移らさるは道理也。随分武士を立つる人うつかと聞て居る人多し。然るに何某奥抔の女人の身にて一年二年の中聞き、早や大事起りたる抔は不思議のことに非すや。我も年久うしてこそ大事は起りたる也。
現代語訳
ある明け方、衆に向かって言われた。どうだ、明け方は憂いの気迫が迫るものだ。また日頃、吐息をつく気迫があるか。また歯ぎしりをする位があるか。この気迫を用いる者がいないのは、仕方のないことである。御坊主たちに移らないのは道理である。ずいぶん武士を立てる人でも、うっかりと聞いている人が多い。ところが、某の奥方などは女性の身で、一年、二年の間聞いて、早くも大事が起こったというのは、不思議なことではないか。私も年久しくしてこそ、大事は起こったのである、と。
解説
明け方に迫る憂い、思わず漏れるため息、歯ぎしりをするほどの切実さを、弟子たちは持っているか、と正三は問う。僧にも武士にも、うっかり聞き流す人が多い中で、ある武家の奥方は一、二年で大事の心が起こった、自分でも長い年月がかかったのに、と驚いている。性別や身分より、聞く人の心の切実さが理解の深さを決める。第百十条の女性の読者の話とも響き合う、正三の率直な感嘆である。
この章句が説くこと
女性切実大事聞く力感嘆理解
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