驢鞍橋 / 卷下
或人語て云ふ、一時去る處より童の吊を賴み來るを、ねんころに七日吊ひ給ふ。因に一僧曰く、今時は、僧俗ともに童の死したるは、業なき故に惡道に赴かすと云つて吊を踈畧に致す也。この儀如何。師聞て曰く、その儀にあらず、能く吊ふ筈也。その故は、成人の者業じみて死したるに似るべからず。童の間は、過去の業ありといへども、未ためぐまずして善惡の念なし。この時、能く吊ひたらば、忽ち善心にもとつき、善人に生を得る筈也。その證據には、童は機一筋なる故に、人たらせば、その儘たらさるゝもの也。是を以て知るべしと也。
新字:或人語て云ふ、一時去る処より童の吊を頼み来るを、ねんころに七日吊ひ給ふ。因に一僧曰く、今時は、僧俗ともに童の死したるは、業なき故に悪道に赴かすと云つて吊を疎略に致す也。この儀如何。師聞て曰く、その儀にあらず、能く吊ふ筈也。その故は、成人の者業じみて死したるに似るべからず。童の間は、過去の業ありといへども、未ためぐまずして善悪の念なし。この時、能く吊ひたらば、忽ち善心にもとつき、善人に生を得る筈也。その証拠には、童は機一筋なる故に、人たらせば、その儘たらさるゝもの也。是を以て知るべしと也。
書き下し
或人語て云ふ、一時去る処より童の吊を頼み来るを、ねんころに七日吊ひ給ふ。因に一僧曰く、今時は、僧俗ともに童の死したるは、業なき故に悪道に赴かすと云つて吊を疎略に致す也。この儀如何。師聞て曰く、その儀にあらず、能く吊ふ筈也。その故は、成人の者業じみて死したるに似るべからず。童の間は、過去の業ありといへども、未ためぐまずして善悪の念なし。この時、能く吊ひたらば、忽ち善心にもとつき、善人に生を得る筈也。その証拠には、童は機一筋なる故に、人たらせば、その儘たらさるゝもの也。是を以て知るべしと也。
現代語訳
ある人が語って言った。ある時、ある所から子どもの弔いを頼んできたのを、ねんごろに七日間弔われた。ついでに一人の僧が言った。今どきは、僧も俗も、子どもが死んだのは業がないから悪道には赴かないと言って、弔いを粗略にいたします。このことはどうでしょうか。師は聞いて言われた。そうではない。よく弔うべきである。そのわけは、成人が業にまみれて死んだのと同じではない。子どもの間は、過去の業があっても、まだ芽生えていないので、善悪の念がない。このとき、よく弔えば、たちまち善心に基づき、善人に生まれるはずである。その証拠には、子どもは気迫が一筋なので、人がなだめすかせば、そのままなだめすかされるものである。これで知りなさい、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下又語て曰く、人死せは、先つ早くよき人に吊はせたきこと也。俗人になりとも、他念なく念仏を申させたし。その故は亡魂うろうろとして物に取着きたがるもの也。この時よき人に吊はせば、その儘善心に取着く筈也。悪知識に吊はせば、機忽ち悪に移るべし。はや悪に移りたる後に、善人に吊はするとも、善心移り難かるへき也。又曰く、生霊よりも、死霊は治めやすし。生霊は何としても体を持て居る間、念强くして、善機移ること遅し。死霊は体なく、中有にたゝよひ、何くへなりとも便り度思ふ間、善を修すれは、ひしとその機を得る也。
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『驢鞍橋』卷上一日僧のなまけたるを見て呵して曰く、左様に機を抜かし居て何の用に立たんや。我は匐ひ廻はる比より機を抜かさず、四歳の時同じく四歳に成るいとこ死す。我此時、さて死したがどつちへ行つたか、何と成つたぞと、ひしと疑起りたりと也。
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『驢鞍橋』卷上一日僧問ふて曰く、一つ凡夫にして悲みて死すると、亦何とも思はす死するとは、何れが是ならんや。師答て曰、一様には云れす、乍去大すうを云はゝ、やれ死するか悲しやと云ひて死する者は、□亦死を何共思はぬは、まだ業の甚だしき者と思はるる也。其故は□をも、成敗に逢へども何とも思はざる物也。
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『驢鞍橋』卷上一日亡者弔ひの次て、師愕然として曰く、皆人計りを弔ふ弔ふと思つて、我も頓て弔らはるへしと云ふ事を知らず。仮にも思ひよらず、只有りて俄に詰りてぎくついて死す。さても暗き物哉と也。
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『驢鞍橋』卷下夜話の次、去る僧曰く、某卵塔塲怖しき故に、機を張り立て、行き習ひ行き習ひして、機の張合の位を仕習ふ也。先つ始めは亡者をおつひしいて行き習ふ。後にも大入道を造立て、かまわず行き廻り行き廻りするに、機をきつと張懸て行けは、是れも自由に行かると云ふ。師聞て曰くおつひしいて行くは慈悲なし。夫れは悪い筋也。なぜ亡者の苦に代り、南無三曼多没駄南梵□□と助けて行き習はんずと也。僧曰く、强い機を受けは、亡者苦を免るべし。師曰く、强い機にても、我弔ひは別也。僧便ちその意を問ふ。師曰くうそうそと弔ふべし。なに音せんずとも、なにこと有らんずともうそうそ也。纔かも念を生して行かば、早や体を造ると也。
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『驢鞍橋』卷上良有りて曰、彼様の者を弔ふ事も機転なくして不叶、我は聞くと早弔ひ様出づる也。先づ天徳院へ引導を頼み、死人に成して弔ひ、其後我請取り、身に経文陀羅尼を書き、塔婆と成して弔ふへし。塔婆と成りたらば虫も責むべからす、二七日も三七日も如是して弔ひたらば、必ず治すへき也。弔ひも医者の薬の如し。なま作なればきかぬ也。治せぬ間は、経咒を以て誦み殺す迄も吊ふべし。是れを直さずんは仏法にひけを付ける也。肉身不調の病は薬を以て治す。加様の業に責めらるゝ者は、縦ひ火を吐き角を振り来るとも、手も無く吊ひ直すべしと也。