驢鞍橋 / 卷下
又この頃上方にて、不三若き時加樣の事に逢ひたることあり、今ならば、彼の和尙をのつけにそらせんものをと云ひ給へば、其座に一人の濟家僧有り、誠に是程のことは、誰れも收めんことなりと云ふ時に不三、其儘座中に跳出て、さあ幽靈じや、收め給へ收め給へと有りければ、彼の僧便ち喝す、不三も喝す、便ち打つ、不三も亦打つ、如是二三度すれとも、終に收らず。僧曰く、我收むことを得す、其方收めて看よと云つて、幽靈也と狂ひ出つ、不三曰く其方さへ收得ず、我何として收めんやと云つて取合はず。僧曰く、然るべし、御手前も成るべからずと云つて休みぬ。時に不三好く收りめされたよと云ひ給へば、彼の僧爰に於て大に非を知りぬと承る。此の收め樣是なりや。師曰く、中々好き收め樣也。不三加樣の處云ひ損はぬ人也。今時此の位を云ひ得る人餘り有るべからずと也。時に長老有り曰く、誠にそこそこにて救ふ道理尤也。師曰く、乍去云ひ樣は少し足らす、我ならば收めんずと云たは虛でおじやる、うそうそと云んずと也。又曰く、かく云つても、うそを知るべからずと也。
新字:又この頃上方にて、不三若き時加様の事に逢ひたることあり、今ならば、彼の和尚をのつけにそらせんものをと云ひ給へば、其座に一人の済家僧有り、誠に是程のことは、誰れも収めんことなりと云ふ時に不三、其儘座中に跳出て、さあ幽霊じや、収め給へ収め給へと有りければ、彼の僧便ち喝す、不三も喝す、便ち打つ、不三も亦打つ、如是二三度すれとも、終に収らず。僧曰く、我収むことを得す、其方収めて看よと云つて、幽霊也と狂ひ出つ、不三曰く其方さへ収得ず、我何として収めんやと云つて取合はず。僧曰く、然るべし、御手前も成るべからずと云つて休みぬ。時に不三好く収りめされたよと云ひ給へば、彼の僧爰に於て大に非を知りぬと承る。此の収め様是なりや。師曰く、中々好き収め様也。不三加様の処云ひ損はぬ人也。今時此の位を云ひ得る人余り有るべからずと也。時に長老有り曰く、誠にそこそこにて救ふ道理尤也。師曰く、乍去云ひ様は少し足らす、我ならば収めんずと云たは虚でおじやる、うそうそと云んずと也。又曰く、かく云つても、うそを知るべからずと也。
書き下し
又この頃上方にて、不三若き時加様の事に逢ひたることあり、今ならば、彼の和尚をのつけにそらせんものをと云ひ給へば、其座に一人の済家僧有り、誠に是程のことは、誰れも収めんことなりと云ふ時に不三、其儘座中に跳出て、さあ幽霊じや、収め給へ収め給へと有りければ、彼の僧便ち喝す、不三も喝す、便ち打つ、不三も亦打つ、如是二三度すれとも、終に収らず。僧曰く、我収むことを得す、其方収めて看よと云つて、幽霊也と狂ひ出つ、不三曰く其方さへ収得ず、我何として収めんやと云つて取合はず。僧曰く、然るべし、御手前も成るべからずと云つて休みぬ。時に不三好く収りめされたよと云ひ給へば、彼の僧爰に於て大に非を知りぬと承る。此の収め様是なりや。師曰く、中々好き収め様也。不三加様の処云ひ損はぬ人也。今時此の位を云ひ得る人余り有るべからずと也。時に長老有り曰く、誠にそこそこにて救ふ道理尤也。師曰く、乍去云ひ様は少し足らす、我ならば収めんずと云たは虚でおじやる、うそうそと云んずと也。又曰く、かく云つても、うそを知るべからずと也。
現代語訳
またこのごろ上方で、不三が、若いときこのようなことに遭ったことがある、今なら、その和尚をのっけにのけぞらせてやるものを、と言われると、その座に一人の臨済僧がいて、まことにこれほどのことは誰でも収められることだ、と言う。そのとき不三はそのまま座の中に跳び出して、さあ幽霊じゃ、収められよ、収められよ、とあったので、その僧はすぐに喝す。不三も喝す。すぐに打つ。不三もまた打つ。このように二、三度したが、ついに収まらない。僧は言った。私は収められない。あなたが収めてみよ、と言って、幽霊だ、と狂い出た。不三は言った。あなたさえ収められないのに、私がどうして収められようか、と言って取り合わない。僧は言った。そうだろう、あなたもできまい、と言って休んだ。そのとき不三が、よく収まられたよ、と言われると、その僧はここで大いに非を知った、と承ります。この収め方はよいのでしょうか。師は言われた。なかなか良い収め方である。不三はこういうところを言い損なわない人だ。今どきこの位を言える人は、あまりいないだろう。そのとき長老がいて言った。まことに、その場その場で救う道理はもっともです。師は言われた。とはいえ、言い方は少し足りない。私なら、収めようと言ったのは嘘でござる、嘘、嘘、と言うだろう。また言われた。こう言っても、嘘を知ることはできないだろう、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下次に一僧曰く、此の前不三、正村抔六七人、去る和尚の所に在て坐禅の次、和尚曰く只今幽霊出ては、何れも収めんやと有りければ、正村曰く、何か収め申さではと也。和尚曰く、何と収めんや。正村曰く、幽霊出でば、其時に望んで収めんと云ふ。時に和尚座中に跳り出て、さあ我こそ幽霊よ、収めめされよと云ひ給ふ。正村ひしとつまれり。和尚曰く、あの売僧めが売僧めがと大に呵せられたりと也。
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『驢鞍橋』卷下師聞て曰く、その和尚は我も近付なるか、左様の処の悪い人也。夫れは和尚の弔ひめされで叶はぬ処也。因に衆に向て御坊主達、何と弔ひめされんずか。さあ弔ひめされんよと責め給ふ。衆擬議す。師早や成らぬずと云ふて、自らのびあがり、大手を開けつゝ倒す□勢を作して曰く、莫妄想となぜつゝ倒すまいことはと也。時に一老宿有り曰く、扨ても有難き御弔ひ哉、忽ち消え申したり。誠に彼の和尚は、何をかと早や実を授けられたりと也。師又曰く、近代の長老達、心法の心得悪き故に、幽霊を見たる抔と云ふ人多し。笑止なること也。
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『驢鞍橋』卷下夜話の次、去る僧曰く、某卵塔塲怖しき故に、機を張り立て、行き習ひ行き習ひして、機の張合の位を仕習ふ也。先つ始めは亡者をおつひしいて行き習ふ。後にも大入道を造立て、かまわず行き廻り行き廻りするに、機をきつと張懸て行けは、是れも自由に行かると云ふ。師聞て曰くおつひしいて行くは慈悲なし。夫れは悪い筋也。なぜ亡者の苦に代り、南無三曼多没駄南梵□□と助けて行き習はんずと也。僧曰く、强い機を受けは、亡者苦を免るべし。師曰く、强い機にても、我弔ひは別也。僧便ちその意を問ふ。師曰くうそうそと弔ふべし。なに音せんずとも、なにこと有らんずともうそうそ也。纔かも念を生して行かば、早や体を造ると也。
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『驢鞍橋』卷上一日語て曰く、我此前洛陽に有りし時、紫野より僧一人来り、古則抔問ひけるに、我常の如く相接す。後に聞けは我を賺しに来ると云ふ。我本より後に廻る事下手也。此故に人にだまさるゝ事多し。乍去今は功者に成りて、左様の者に相接する事上手に成りたり。若き衆に教へて置くへし、若し左様の者来り法を問はは、如何にも謙つて左様の事は存せぬ也、能き事有らば習ひ申さんと云つて、打上げて置くべしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日或る俗来て曰く、承り及ふ故に是れ迄伺候仕る、一句示し給へ。師曰く、一人虚を伝ふれば、万人実と伝ふとて何者かおどけ者有りて、正三こそ名誉者なれ抔といへば、末々に聞き伝へ、扨は空をも翅り、光をも放つか抔と思ひ、正三見物に来り、変も無き老人なるを見て、皆興を醒さるゝ也。誠に我何の変もなき土禅門也。只死度くも無き間、何とぞして殺さるゝ事有りとも、何とも思はす、頸を指出して自由に死ぬ程に成りたさに修する也。されとも死は置いて餓鬼畜生を出でぬ也。是れを出度く思ふ心は、何とも思はず居る者には增さるへき歟。別に人に增りたる事無し。其方も聞かんと思はゝ一向のしろうとに成りめさるへし。彼者、秘し給ふと思ひ弥示し給へと云ふ。師曰く、我仏法の能き事を知らず、只我悪敷事を能く知りたる也。我友に成り、出入めされば、何時も我処に有る餓鬼畜生を懺悔して聞かせ申すべし。実に是の外によき事を知らず、ひげして云ふかと思ひめされんずな。無間に沈むほうぞ知らぬ也。
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『驢鞍橋』卷下去る時、僧俗の修行者思の外心得悪しと発憤有る折節、去る僧来る。師見て曰く、出入の人人大方にも心得たるかと云ひければ、一人もなし。殊に坊主の生けた振見度なし。あらいやの御坊主達や。早々帰りめされよと云つて、急に逐ひ帰し給ふ也。