驢鞍橋 / 卷下
一日、示して曰く、結句俗方や女人には、勇猛の機移りたる人有りとも、出家に此の機移りたる人無し。是非なきこと也。何としても、出家に移らねば、衆生の爲にならず、又末世に殘されす、御坊主達勢を出してくれめされよと也。
新字:一日、示して曰く、結句俗方や女人には、勇猛の機移りたる人有りとも、出家に此の機移りたる人無し。是非なきこと也。何としても、出家に移らねば、衆生の為にならず、又末世に残されす、御坊主達勢を出してくれめされよと也。
書き下し
一日、示して曰く、結句俗方や女人には、勇猛の機移りたる人有りとも、出家に此の機移りたる人無し。是非なきこと也。何としても、出家に移らねば、衆生の為にならず、又末世に残されす、御坊主達勢を出してくれめされよと也。
現代語訳
ある日示して言われた。かえって俗人や女性には勇猛の気迫が移った人がいても、出家にこの気迫が移った人はいない。仕方のないことである。どうしても出家に移らなければ、衆生のためにならず、また末世に残されない。御坊主たちよ、精を出してくだされよ、と。
解説
俗人や女性には勇猛の気迫を身につけた人がいるのに、僧侶にはいない、と正三は嘆く。そして、僧侶が身につけなければ、人々を導くこともできず、教えを後の世に残すこともできない、どうか精を出してくれ、と弟子たちに頼む。専門家であるはずの人々が、かえって素人に本気で劣っている、というもどかしさである。教えを継ぐべき立場の人に向けた、晩年の正三の切実な願いがこもる言葉である。
この章句が説くこと
出家勇猛心後継専門家切実な願い末世
関連する章句
-
『驢鞍橋』卷下去る時、僧俗の修行者思の外心得悪しと発憤有る折節、去る僧来る。師見て曰く、出入の人人大方にも心得たるかと云ひければ、一人もなし。殊に坊主の生けた振見度なし。あらいやの御坊主達や。早々帰りめされよと云つて、急に逐ひ帰し給ふ也。
-
『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、誰も憂き事に逢ふては死に度き事も有るべし。只栄耀にして機をへらし居られば、老ても命の惜き事は、若者と替りあるべからす。少々にして娑婆の隙明くべからず。其方達も十二時中眼をすゑ、拳を握り、せぼねを引立て、臍の下より勇猛の心湧出づる程に修すべしと也。
-
『驢鞍橋』卷上師一日示して曰く、近年仏法に勇猛堅固の大威勢有ると云ふことを唱へ失へり。只柔和に成り、殊勝に成り、無欲に成り、人能くはなれども、怨霊と成る様の機を修し出す人無し。何れも勇猛心を修し出し、仏法の怨霊と成るべしと也。
-
『驢鞍橋』卷上一日去る若き僧の志有りて、望を休したるに向て曰く、まだいかなる大難にも逢はんずか、幾年を送らん事大儀也。乍去望を離れよくは仕為し来れり、なにとぞ次第に募らせたし、まだ末しれぬ事也。心元なし。旨少し違ひて志失せれば、娑婆に責められ、忽ち苦を受くる物也。兎角後世願ひの中を離れざるが好き也。亦やゝ有りて自ら身を叩へて曰、扨も何の用にも立たぬ物哉物哉と也。
-
『驢鞍橋』卷下師遷化の後、不三老、門人に謂て曰く、此間人病を問へとも、之に取合はず、なにと仏法に替る事なしやなしやと計り尋ね給ふ。誠に遷化の日迄、此事のみ也。一生が間、あれほとも全体仏法を苦にし給ふものか、各志を守て師の念願を虚しう給ふべからすと□□也。
-
『驢鞍橋』卷下因に云ふ、大形昔より師一人にして、二代になれば、早や衰ふと見えたり。然ればこそ、仏弟子より此の位有る也。仏経には勇猛精進と多く説き給ふに、その後誰れでも沙汰したる人を聞かす、若し沙汰せば、先つ迦葉のめされんすか早や替りたると見えたり。総而昔も今の如く、善き者出でにくかるべし。替り有るべからず。皆知らずして仏の御出世なる間、誰れをも彼れをも善からんずと計思はるゝ也。時に僧問ふ、普化は仏境界の人と承る、何ぞ度人なきや。師曰く、中中さつさつとしたる活境界にて、度人も何も有る様の機に非ず、是れはよく我知ると也。