驢鞍橋 / 卷上
一日老僧來りて法要を問ふ。師示して曰く、工夫修行成るへからす、只小庵に安居して晝夜經咒を誦し、無緣法界を吊ひ、日用を送らるべし。何と禮拜抔せらるゝや。彼人、中々三拜を仕ると云ふ。師曰、其つれにて何として眞實起るべし、責めて五百禮も千禮も爲し、身心を責めて業障を盡すへし。亦一生に成佛せんと思ふへからす。曠劫多生を懸けてする事也。何とぞ今度餓鬼畜生を出で責めて人間にならるへしと也。
新字:一日老僧来りて法要を問ふ。師示して曰く、工夫修行成るへからす、只小庵に安居して昼夜経咒を誦し、無縁法界を吊ひ、日用を送らるべし。何と礼拝抔せらるゝや。彼人、中々三拝を仕ると云ふ。師曰、其つれにて何として真実起るべし、責めて五百礼も千礼も為し、身心を責めて業障を尽すへし。亦一生に成仏せんと思ふへからす。曠劫多生を懸けてする事也。何とぞ今度餓鬼畜生を出で責めて人間にならるへしと也。
書き下し
一日老僧来りて法要を問ふ。師示して曰く、工夫修行成るへからす、只小庵に安居して昼夜経咒を誦し、無縁法界を吊ひ、日用を送らるべし。何と礼拝抔せらるゝや。彼人、中々三拝を仕ると云ふ。師曰、其つれにて何として真実起るべし、責めて五百礼も千礼も為し、身心を責めて業障を尽すへし。亦一生に成仏せんと思ふへからす。曠劫多生を懸けてする事也。何とぞ今度餓鬼畜生を出で責めて人間にならるへしと也。
現代語訳
ある日、老僧が来て法の要を尋ねた。師は示して言われた。工夫の修行はもうできないでしょう。ただ小庵に安居して、昼夜、経や呪文を唱え、縁のない霊を弔い、日々を送られるがよい。礼拝などはどれくらいされていますか。その人は、なかなか三拝をしております、と言った。師は言われた。その程度でどうして真実が起ころうか。せめて五百礼も千礼もして、身心を責めて業障を尽くしなさい。また、一生で成仏しようと思ってはならない。果てしない生を懸けてすることである。どうか今度こそ、餓鬼畜生を出て、せめて人間になられるがよい、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、初心の人は先づ信心を祈り、咒陀羅尼をくりて身心を尽すが好き也。或は八句の陀羅尼を、十万返も、二十万返も、三十六万返も唱へて業障を尽されば、志も進み真実も起るへし。先づ能き御坊主を捨て、一向の土に成りて勤むへし。因に源長老に向て曰、御長老も楞厳咒をせめて一蔵誦みめされよ、少々の事にては御長老も捨るへからすと也。在家の男女随分誦咒念仏して、師の院に就き、塔婆を立て供養す。因是得徳者数を不知。
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『驢鞍橋』卷上一日去る処の小姓両人来り法要を問ふ。師示して曰く、修行と云ふは此身に離るゝ事也。先つ若き衆は身を不惜、主君に奉公をなすが能き也。如是浅き処に身を捨習つて功を尽さは、如何様の処にも自由に捨てらるべし。身心にさへ離るれば成仏也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る人西国巡礼を思ひ立ち、師を辞して曰く、此中承はる自己を守るの段、心得難し、弥示し給へ。師聞て曰、自己を守る事成るへからず、只念仏申して行脚すへし。又は油断無く咒陀羅尼をくり、何千返何万返と巡礼札に書付け、処々に打巡つて業障を尽すへし。其自己の沙汰先々にてしてくれめさるゝな、ふつゝと無用にめされよ。只乞食し仏行を作して業障を尽さるへし。少し意など移りたると云ふとも、業障を尽さねば何の用にも立たぬ物也。責めて死苦を受けぬ程に勤むべし。大略責められめされんず、愚に思ひめさるゝなと也。
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『驢鞍橋』卷上師又曰く、其方の振は仏法を持たれたり出しめされよ。彼者、少しも存せずと云ふ。師曰、いやいや一物有り、早々出しめされよと責め給ふ。時に彼者去る和尚より趙州洗鉢盂の話を授かり、脫体に入りかゝり候と云ふ。師曰く、三宝とて世人の宝と成る僧が、還つて左も無き事を授けて、人を損ふと是非も無き事也。夫れ言句に徹すると云ふ事も無きには非ず、縦ひ微したりとも、餓鬼畜生の心は休むへからす。我も私見性少し有れども何の用にも立たす、結句今時見性したりと云ふ人は、大形人悪く成る也。其方も只土に成て念仏修行せらるべし。彼者問、修行とはいかなる事なりや。師答て曰、我を尽す事也。又問、土にはなにと成り候や。師答て曰、其方が胸の中の知解妄想を悉く打捨て、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と道理を申しけし、我を申しけして、虚空一枚に成るを土に成て成仏する修行と云ふ也。
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『驢鞍橋』卷下同十八日、去る俗士来り、某今迄終に仏法承らす、油断者也と云つて法要を問ふ。師曰く、何くにても聞きめされぬか仕合也。若し聞きめされたらば、疾く悟て隙を明けめさるべし。総而聞きて合点して置くことに非す。只修し行して、少し宛も心の垢を抜くこと也。暗心も明く成り、弱心も强く成る様に修すること、先つ大すべを心得めされよと也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る人来て成仏を問ふ。師示して曰く、成仏と云ふは本来空に成る事也。元の如く我もなく、人も無く、法も無く、仏も無く、一切にくつとつゝ離れて、手を打払ふて際を明くる事也。悟にても何にても有らは、ろでは無き也。婆子焼庵の古則抔好き証拠也。亦曰く、隙なき人折々来る事無用也、我云ふ程の事は徳用、草分等に書く。あの外は云ふことなし。是れを好く見らるべし。彼者、随分修行仕れど少しも上らすと云ふ。師曰、たやすく成る事に非す、其やうに安く成る事ならば、我は羅漢にも菩薩にも成るへきが未た餓鬼畜生を離れす、然る間次第つよに修すへし。一旦頭の火を払ふ様なりとも、跡つゞかざれば用に立たす、急に成る事と思はゞ退屈すへしと也。