驢鞍橋 / 卷下
一日、去る病者に向て曰く、病は好き菩提の種也。然れとも只好く成りたいと計り思つて、只在て果すらんと也。
書き下し
一日、去る病者に向て曰く、病は好き菩提の種也。然れとも只好く成りたいと計り思つて、只在て果すらんと也。
現代語訳
ある日、ある病人に向かって言われた。病は良い菩提の種である。けれども、ただ良くなりたいとばかり思って、ただそのまま過ごして終わるのだろう、と。
解説
病気は悟りへの良い種になる、と正三は病人に言う。死や身体の苦しみに正面から向き合う機会になるからである。けれども多くの人は、ただ早く治りたいとばかり思って、その機会を生かさないまま過ごしてしまう、と。病気や困難を、ただ過ぎ去るのを待つだけでなく、自分の生き方を見つめ直す契機にできるか。短い言葉で、苦しみの時間の意味を問い直させる条である。
この章句が説くこと
病菩提困難契機苦しみ見つめ直す
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