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驢鞍橋 / 卷上

因に謂衆曰、われ此公事をさばくならば、佛は萬德圓滿なりと心を自由に使ふて、世界の用に立つか正法也。然る間双方に萬德の旨を云ひ、是れに相應せずんば兩方ともに邪法也。只萬德を旨とせよと云ふべし。扨萬德は凡夫境界にて使はるゝ事に非す、佛境界に至りて使ふ事也。然るときんば佛に成るが正法なる間、双方ともに邪解を捨て、一つに成佛の道を立て、弟子共にも小僧の時より成佛の處に眼を付けて、修せよと敎ふべしとさばくべき也。扨亦不立文字の禪宗に、學文を本意とも云はれまじ、亦代り法門は猶ほ以て邪解也。其故は理致を以て沙汰し究め、隙を明けて置く程に、代り法門を用ふる間は、古則は皆すたる也。

新字:因に謂衆曰、われ此公事をさばくならば、仏は万徳円満なりと心を自由に使ふて、世界の用に立つか正法也。然る間双方に万徳の旨を云ひ、是れに相応せずんば両方ともに邪法也。只万徳を旨とせよと云ふべし。扨万徳は凡夫境界にて使はるゝ事に非す、仏境界に至りて使ふ事也。然るときんば仏に成るが正法なる間、双方ともに邪解を捨て、一つに成仏の道を立て、弟子共にも小僧の時より成仏の処に眼を付けて、修せよと教ふべしとさばくべき也。扨亦不立文字の禅宗に、学文を本意とも云はれまじ、亦代り法門は猶ほ以て邪解也。其故は理致を以て沙汰し究め、隙を明けて置く程に、代り法門を用ふる間は、古則は皆すたる也。

書き下し

因に謂衆曰、われ此公事をさばくならば、仏は万徳円満なりと心を自由に使ふて、世界の用に立つか正法也。然る間双方に万徳の旨を云ひ、是れに相応せずんば両方ともに邪法也。只万徳を旨とせよと云ふべし。扨万徳は凡夫境界にて使はるゝ事に非す、仏境界に至りて使ふ事也。然るときんば仏に成るが正法なる間、双方ともに邪解を捨て、一つに成仏の道を立て、弟子共にも小僧の時より成仏の処に眼を付けて、修せよと教ふべしとさばくべき也。扨亦不立文字の禅宗に、学文を本意とも云はれまじ、亦代り法門は猶ほ以て邪解也。其故は理致を以て沙汰し究め、隙を明けて置く程に、代り法門を用ふる間は、古則は皆すたる也。

現代語訳

ついでに衆に言われた。私がこの争いを裁くならば、仏は万徳円満である。心を自由に使って、世界の役に立つのが正法である。だから双方に万徳の趣旨を言わせ、これに相応しなければ、両方とも邪法である。ただ万徳を旨とせよと言うべきである。さて、万徳は凡夫の境界で使えることではない。仏の境界に至って使うことである。そうであれば、仏になることが正法だから、双方とも邪な理解を捨てて、一つに成仏の道を立て、弟子たちにも小僧のときから成仏のところに目をつけて修めよと教えるべきだ、と裁くべきである。さてまた、不立文字の禅宗で、学問を本意とも言えないだろう。また代わり法門はなおさら邪な理解である。そのわけは、理屈によって詮議し究め、暇を明けておくので、代わり法門を用いる間は、古則はみな廃れてしまうのである。

解説

正三が裁くならどうするか。仏は万徳円満、心を自由に使って世の役に立つことが正法であり、その基準に照らせば学問偏重も代わり法門も、どちらも邪法だと言う。争う双方のどちらかに味方するのではなく、より高い共通の目的を示して両方を正すという裁き方である。組織の対立を収めるとき、どちらが正しいかを決めるより、本来の目的に照らして双方の誤りを示すほうが、根本的な解決になることを教えている。

この章句が説くこと

万徳円満裁き共通目的正法対立成仏

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