驢鞍橋 / 卷下
一日、去る人來て、來朝の唐僧、江戶迄請待仕り度由、去る僧達訴訟に出てられたりと語る。師聞て曰く、扨てもうれしきこと哉、是れに付て正法建立の儀申し上くべし。この節直目安をかづき、若し法の筋惡きを御用被遊は、日本一州忽ち邪法と成るべし。能く能く御余議有るべしと命かけに申し上くべし。元より正法ならは、その上なし。扨て我は佛像と一切衆生濟度の經文とを以て申すべし。彼の禪堂の樣子も聞きけるか。あの樣に用ゐて、在家にて何の用に立たんや。我是れ一つを待つと也。
新字:一日、去る人来て、来朝の唐僧、江戸迄請待仕り度由、去る僧達訴訟に出てられたりと語る。師聞て曰く、扨てもうれしきこと哉、是れに付て正法建立の儀申し上くべし。この節直目安をかづき、若し法の筋悪きを御用被遊は、日本一州忽ち邪法と成るべし。能く能く御余議有るべしと命かけに申し上くべし。元より正法ならは、その上なし。扨て我は仏像と一切衆生済度の経文とを以て申すべし。彼の禅堂の様子も聞きけるか。あの様に用ゐて、在家にて何の用に立たんや。我是れ一つを待つと也。
書き下し
一日、去る人来て、来朝の唐僧、江戸迄請待仕り度由、去る僧達訴訟に出てられたりと語る。師聞て曰く、扨てもうれしきこと哉、是れに付て正法建立の儀申し上くべし。この節直目安をかづき、若し法の筋悪きを御用被遊は、日本一州忽ち邪法と成るべし。能く能く御余議有るべしと命かけに申し上くべし。元より正法ならは、その上なし。扨て我は仏像と一切衆生済度の経文とを以て申すべし。彼の禅堂の様子も聞きけるか。あの様に用ゐて、在家にて何の用に立たんや。我是れ一つを待つと也。
現代語訳
ある日、ある人が来て、来日した唐僧を江戸までお招きしたいと、ある僧たちが訴えに出られた、と語った。師は聞いて言われた。さても、うれしいことだな。これにつけて、正法建立のことを申し上げよう。この折に直訴状をかつぎ、もし法の筋の悪いものをお用いになれば、日本一国はたちまち邪法となるだろう。よくよくご吟味ください、と命がけで申し上げよう。もとより正法なら、それ以上のことはない。さて私は、仏像と一切衆生を済度する経文とをもって申し上げよう。あの禅堂の様子も聞いたが、あのように用いて、在家で何の役に立とうか。私はこれ一つを待っているのである、と。
解説

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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、我御意を以て正法を建立せば、諸宗を聚め、人々の云ひ分を書か共名判をさせ、取りて僉議すべし。何と自由に書出す人あらんや。時に一僧曰く、筆にて書き口にて云ふ分は、よく云ふ人もあるべし。師云、いや一言で五臓六腑を知る物也。其上三世仏を証拠にして、互の修行の位を懺悔すべし。大略名利を離れたる程の人もあるべからずと也。
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『驢鞍橋』卷下午の極月、夜話の次で曰く、仏法の御政道、如何にしてか御公儀へ訴へ奉らんとありければ、一僧曰く、無理に此方より申し上るとも、あなたより思召より無くんば、用に立つべからず。何とずあなたより召出さるゝ様な方便有らば然るべしと云ふ。師呵して曰く、夫けなたわけたことを、我前にて能く云はるゝこと也。我旨を知るべからず、是非に於て一命を捨て申し上けんと切れ切つて居る也。誠に云はるゝ物ならば、幽霊に成てなりとも申上け度く思ふ也。そのあなたより思召より玉ふ方便する抔と云ふことに非す。何とあらんとも、是非に申し達せんと云ふ機胸に指張て居る也。我旨を知るべからずと、大に呵し給ふ也。
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『驢鞍橋』卷中師便ち曰く、我八十年苦労せしかとも、誰ても聞く人なく、時に逢はす、只打くさる迄也。余りの悲しさに、今こそ見者なくとも末世に残し応縁の者を待たんと思ふて是れを書く也。又曰く、今時正法滅する故に、三宝の光失して、国土世界、無明の闇となる。扨て扨て笑止千万なる事哉。何とぞ御下知を以て、正法を立て国土を明かならしめんと思ふ也。今時は直に達磨の出世ありても、正法立ち難し。末世にては国王大臣に付属すと申し置かれたり。然るに付属と申し置かれたる処を捨おかれ、仏法はかり御政道に預らさる事迷惑の至り也。是非共正法建立の御下知仰き奉ると御訴訟申し上けんとの念願はかり也。
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『驢鞍橋』卷下去る時、僧俗の修行者思の外心得悪しと発憤有る折節、去る僧来る。師見て曰く、出入の人人大方にも心得たるかと云ひければ、一人もなし。殊に坊主の生けた振見度なし。あらいやの御坊主達や。早々帰りめされよと云つて、急に逐ひ帰し給ふ也。
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『驢鞍橋』卷上然れとも如何にしても代り法門の筋無き事を仏法とし、我宗正伝の仏祖の語録を法度と有る事は余り非道の事に候間、申上ぐる儀也。奥意は此次でに、三百年以来錯り来る所の仏法を御下知に依り、正法に復さんとの所存也。是れは余り笑止千万の体に御坐候。仏も国王大臣有力の檀那に付属すと申し置かれたり。然る間諸宗を集め、聞手を立て、仏法の意趣を御吟味被遊、正理たるべき様に仰付奉頼と云ふへき也。
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『驢鞍橋』卷中時に一僧云ふ、御奉行中より、いや付属とは、伽藍建立の事也。法の事は出家こそ知れ、俗方の知る所に非すと仰せ有らは如何。師曰く、夫れならは伽藍建立を付属とこそ有るへきに、直に仏法を付属すと申し置かれたり。是非に申し上くへし。又僧云ふ、と云ふても知らぬ事は正されてこそあらは如何。師曰く、されは其の儀にて御座ある、喩へは一文字御存無くても、筆道者を立て置かれは、墨跡の正邪を分ち価を著く、□猶ほ如是法眼等あり。又作り焼き少しも御存知無く共、本阿弥様の者を立て置き給ふ故に、似せ正銘を分ち価を着く是れ源を立ておかれ、御政道正しき故也。爰を以て諸道、何れも廃れす。然るに仏法計捨て置き給ふに因て、人々仏法を巧み、自ら錯り人を錯れとも、法度してもなし。故に二百年余り邪法と罷り成れり。是れを御僉議なされぬと云ふことあらんや。右申し上く通り御存知なくとも、諸宗を集め僉議させ聞し召させ、忽ち正法に罷り成る義也。其上僉議は姥かゝの耳にも、その儘聞ゆる事也と申し上くへし