驢鞍橋 / 卷下
正三は俗に在りし時の名乘也。出家の後、亦法名とす。本國は紀州熊野、生國は三州姓は穂積、鈴木氏の長子なり。先祖三州に至るに及んて、松平の幕下に屬して弓箭の功を致すこと、師に至る迄數代也御大將一天を掌にし給ひて、武官隙あるに及んて遁世す。師述る所の書、萬民德用、麓草分、盲安杖、二人比丘尼、念佛草紙、破きりしたん、因果物語等也。以上の七部は、三寳の光を以て國土を照し、普く群生を度せんと欲す、師大願の至要也。
新字:正三は俗に在りし時の名乗也。出家の後、亦法名とす。本国は紀州熊野、生国は三州姓は穂積、鈴木氏の長子なり。先祖三州に至るに及んて、松平の幕下に属して弓箭の功を致すこと、師に至る迄数代也御大将一天を掌にし給ひて、武官隙あるに及んて遁世す。師述る所の書、万民徳用、麓草分、盲安杖、二人比丘尼、念仏草紙、破きりしたん、因果物語等也。以上の七部は、三宝の光を以て国土を照し、普く群生を度せんと欲す、師大願の至要也。
書き下し
正三は俗に在りし時の名乗也。出家の後、亦法名とす。本国は紀州熊野、生国は三州姓は穂積、鈴木氏の長子なり。先祖三州に至るに及んて、松平の幕下に属して弓箭の功を致すこと、師に至る迄数代也御大将一天を掌にし給ひて、武官隙あるに及んて遁世す。師述る所の書、万民徳用、麓草分、盲安杖、二人比丘尼、念仏草紙、破きりしたん、因果物語等也。以上の七部は、三宝の光を以て国土を照し、普く群生を度せんと欲す、師大願の至要也。
現代語訳
正三は俗世にいたときの名乗りである。出家の後も、また法名とした。本国は紀伊の熊野、生国は三河、姓は穂積、鈴木氏の長子である。先祖が三河に来るに及んで、松平の旗下に属して弓矢の功を立てること、師に至るまで数代である。御大将が天下を掌握されて、武官に暇ができるに及んで遁世した。師の述べた書は、『万民徳用』『麓草分』『盲安杖』『二人比丘尼』『念仏草紙』『破吉利支丹』『因果物語』などである。以上の七部は、三宝の光で国土を照らし、あまねく衆生を済度しようとするもので、師の大願の要である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下徳用、草分は、起縁前書にあり。盲安杖は、師俗の時、朋輩に儒者有り、仏道は世法に背くと云ふに仍て書き給ふ。二人比丘尼は、悲母の為め也。念仏双紙は、松平和泉殿御袋の所望に仍てほんぐのうちに等閑に書き示めし給ふ所也。破きりしたんは、天草一乱の後、舎弟三郎九郎に御代官仰付有りし時、師も共に至り、邪宗の習気を滅し、その土を治めんと欲し、寺庵数多建立し給ふ。その因に之を書してその土の者に示めし給ふ也。因果物語は、人の霊化物語をなす毎に、加様のことを聞捨にするは、無道心のこと也、末世の者、加様のことを証拠と作して進ますして、何を以て進まんやと云つて集め給ふ。殊に曰く、我集むる所は、元享釈書、砂石集の物語よりも証拠正しと也。又この驢鞍橋は、私の覚書也。故に他見に及ばんことを恥づ。只自己の指南の為めに、妄に留る所也。意句ともに錯多からんことを恐る而巳。
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『驢鞍橋』卷上正三老人行脚の後、三州石平山に居して生を利すること年久し。末後に慶安元年戊子の夏、関東江城に到て諸人を接引す。予胡乱に其語を認めて阿爺の下頷と成す者也。
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『驢鞍橋』卷下師の故傍輩何某殿語て曰く、正三は、若き時より僧好、寺好にて、如何なる僧にも、僧にてさへあれは近付け給ふ。始め権現様に仕へ給ふが、少し奉公の暇あることありければ、家を息男に譲り、下津間多宝院、関本最乗寺抔に引込て、僧に交り玉ふ。又南泉寺大愚和尚の渡にも寮舎を搆へて、久しく居り給ふ。其後又再ひ世に出て、台徳院様に仕へ、便ち関が原陣、同大坂両陣に忠功を作し了て、終に出家し給ふ也。
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『驢鞍橋』卷下一日、僧問ふ、師常に修行の為めには侍好し、出家却て悪しと云つて、人の剃るを嫌ひ給ふが、何として自らは剃り給ふぞと云ふ者有り、如何か答へ申すべきや。師聞て曰く、何れも云て看よ。一僧曰く、仏法を起すには、俗よりも出家徳大なる故なるべし。師曰く、其儀に非す。正三は只因果にて剃りたり。定て正三は出家に成る因果こう有りつらん。無体に剃度してそりたる也。因に曰く、然るに此の因果の理を弁へず仏法を聞かば、皆出家に成ると云ふ。又病者と成り、機違と成ると云て、法に咎を付る者有り、究めたる悪見也。是れ法の咎に非ず、皆前世の因果也。その故は法を聞かざる者にて機違有り、病者有り、盲目と成る者有り、是は何の咎と云はんと也。
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『驢鞍橋』卷下我四十余の時、頻りに世間いやになりける間、御穿鑿有らは、無理に世間いやに候間、如是罷成、曲事と思召さば、御成敗あれと罷出て、腹切らんと思定め、不図剃りたり。番頭や御老中に、九太夫こと機違に罷成りたりと御申上頼み奉ると云ひければ、いたはしや、御老中の扨て扨ていなことめされたり、人のことを能くこそ取成物なれ、機の違はぬ人を気違とは取成されてこそと仰せありしが、時を見、御機嫌を窺ひ、夜咄の次に鈴木九太夫不図道心を起し候と申し上けられければ、台徳院様は如何思召されたるか、元より御慈悲にて夫は道心と云ふてば無い、隠居じや迄よと仰せ出されたり。彼の老中悅ひ我を喚ひ何と有らんかと思ひ、加様なる気遣したることなし。然るに如是の忝き御意有らんや。急き継目を申させよと有るに依て、俄に今の九太夫を御礼申させたり。総而切端なくて用に立つへからず、我も初めは如是してすりけるか、今は切行て、修行には結句奉公よしと思ふ也。
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『驢鞍橋』卷下夜話の次に曰く、我若き時より、総而言句を持たざる性也。今に仏法を持たす。尤も世事のことは、名聞を始め、胸中一物もなし。是に仍て人に逢ふても話すべきことなし。只によんとして、居る計也。人持ち来れば、応対事欠かす、我身より工み出して云ふべきことを持たす。乍去仏法のすべを直し度思ふと、人を能く成し度と思ふ念は强く有る也。此の外には他事なしと也。