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驢鞍橋 / 卷上

慶安四辛卯春示して曰く、見解有るよりも死機起るか好き也。我も若き時よりもろい機は有りけるか、死機は遙か後にぞ移れり。今は頸抔切らるゝ者の心は、其儘我頸を切らるゝ樣に移る也。總して人の死したると聞くと、其機其儘移る也。其方達の胸には、如何程通するや心元なし。我死苦に責めらるゝと云ふ事、胸どきつき、中々憂きもの也。久敷有らば機へるべき物也。乍去今はませぬ也。我も始めは惡き事かと思ひけるか、後思へば此機萬病圓也。どつこも收り理まで働きて出たり、今も死機持ちたる者は、次第に能く成る也。然れは死機は生死の離れ始めかと覺ゆる也。

新字:慶安四辛卯春示して曰く、見解有るよりも死機起るか好き也。我も若き時よりもろい機は有りけるか、死機は遥か後にぞ移れり。今は頸抔切らるゝ者の心は、其儘我頸を切らるゝ様に移る也。総して人の死したると聞くと、其機其儘移る也。其方達の胸には、如何程通するや心元なし。我死苦に責めらるゝと云ふ事、胸どきつき、中々憂きもの也。久敷有らば機へるべき物也。乍去今はませぬ也。我も始めは悪き事かと思ひけるか、後思へば此機万病円也。どつこも収り理まで働きて出たり、今も死機持ちたる者は、次第に能く成る也。然れは死機は生死の離れ始めかと覚ゆる也。

書き下し

慶安四辛卯春示して曰く、見解有るよりも死機起るか好き也。我も若き時よりもろい機は有りけるか、死機は遥か後にぞ移れり。今は頸抔切らるゝ者の心は、其儘我頸を切らるゝ様に移る也。総して人の死したると聞くと、其機其儘移る也。其方達の胸には、如何程通するや心元なし。我死苦に責めらるゝと云ふ事、胸どきつき、中々憂きもの也。久敷有らば機へるべき物也。乍去今はませぬ也。我も始めは悪き事かと思ひけるか、後思へば此機万病円也。どつこも収り理まで働きて出たり、今も死機持ちたる者は、次第に能く成る也。然れは死機は生死の離れ始めかと覚ゆる也。

現代語訳

慶安四年(一六五一)の春、示して言われた。見解があるよりも、死の気迫が起こるほうがよい。私も若いときから、もろい気迫はあったが、死の気迫はずっと後になって移ってきた。今は、首などを切られる者の心が、そのまま自分の首を切られるように移ってくる。おおよそ人が死んだと聞くと、その気迫がそのまま移る。あなたたちの胸には、どれほど通じているか心もとない。死の苦しみに責められるということは、胸がどきどきして、なかなかつらいものである。長くあれば気力が減るはずのものだが、今は減らない。私も初めは悪いことかと思ったが、後で思えば、この気迫は万病に効く薬である。どこもかしこも収まり、道理まで働いて出てきた。今も死の気迫を持っている者は、次第に良くなる。だから、死の気迫は生死を離れる始まりかと思われる、と。

解説

悟りの見解を持つより、死の切迫した実感が起こるほうがよい、と正三は言う。他人の処刑や死を聞くと、自分の首が切られるように感じる。つらいが、それが万病に効く薬になった、と。死の自覚が、あらゆる心の乱れを収め、物事の道理まで見えるようにした、という体験の証言である。頭で分かった見解より、身に迫る実感のほうが人を変える。危機を自分事として感じる力の大切さを、老年の正三が語っている。

この章句が説くこと

死機見解実感自分事万病円晩年

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