驢鞍橋 / 卷上
一日右の僧に示して曰く、我も悟りなどと云ふ事を知らず。其方達も左樣の事を求めずとも、人間に生を得、出家と成りたる功德に、なにとぞして餓鬼道を免かるへし。殊に今時の出家は、餓鬼心深き也。先づ小僧より智者の名を貪り、人に勝たん事を思ふ智欲餓鬼有り、其後江湖頭餓鬼、轉衣餓鬼、寺餓鬼、法幢餓鬼、隱居餓鬼、此念を本として所有餓鬼心を造り出し、片時も安き事なく、一生空く餓鬼の苦に責められ、未來永劫此念に引かれて、三惡道に墮すべき類ひばかり也。必ず用心して餓鬼道を免かれめされよ。又人に娑婆を授けらるゝ事莫かれ。或は汝を長老になさんとも云ひ、又は能き徧參僧也、學文を休するは惜しき事抔と云ひ、兎角其方身上を持たせん抔と云ふは、皆娑婆を授くる人也。今時娑婆を奪ふ人一人も無し、皆名利を授くる人計り也。能々用心して娑婆を授けらるゝ事莫かれと也。
新字:一日右の僧に示して曰く、我も悟りなどと云ふ事を知らず。其方達も左様の事を求めずとも、人間に生を得、出家と成りたる功徳に、なにとぞして餓鬼道を免かるへし。殊に今時の出家は、餓鬼心深き也。先づ小僧より智者の名を貪り、人に勝たん事を思ふ智欲餓鬼有り、其後江湖頭餓鬼、転衣餓鬼、寺餓鬼、法幢餓鬼、隠居餓鬼、此念を本として所有餓鬼心を造り出し、片時も安き事なく、一生空く餓鬼の苦に責められ、未来永劫此念に引かれて、三悪道に堕すべき類ひばかり也。必ず用心して餓鬼道を免かれめされよ。又人に娑婆を授けらるゝ事莫かれ。或は汝を長老になさんとも云ひ、又は能き遍参僧也、学文を休するは惜しき事抔と云ひ、兎角其方身上を持たせん抔と云ふは、皆娑婆を授くる人也。今時娑婆を奪ふ人一人も無し、皆名利を授くる人計り也。能々用心して娑婆を授けらるゝ事莫かれと也。
書き下し
一日右の僧に示して曰く、我も悟りなどと云ふ事を知らず。其方達も左様の事を求めずとも、人間に生を得、出家と成りたる功徳に、なにとぞして餓鬼道を免かるへし。殊に今時の出家は、餓鬼心深き也。先づ小僧より智者の名を貪り、人に勝たん事を思ふ智欲餓鬼有り、其後江湖頭餓鬼、転衣餓鬼、寺餓鬼、法幢餓鬼、隠居餓鬼、此念を本として所有餓鬼心を造り出し、片時も安き事なく、一生空く餓鬼の苦に責められ、未来永劫此念に引かれて、三悪道に堕すべき類ひばかり也。必ず用心して餓鬼道を免かれめされよ。又人に娑婆を授けらるゝ事莫かれ。或は汝を長老になさんとも云ひ、又は能き遍参僧也、学文を休するは惜しき事抔と云ひ、兎角其方身上を持たせん抔と云ふは、皆娑婆を授くる人也。今時娑婆を奪ふ人一人も無し、皆名利を授くる人計り也。能々用心して娑婆を授けらるゝ事莫かれと也。
現代語訳
ある日、先の僧に示して言われた。私も悟りなどということは知らない。あなたたちもそのようなことを求めなくても、人間に生まれ、出家となった功徳によって、どうにかして餓鬼道を免れるがよい。とりわけ今の出家は餓鬼の心が深い。まず小僧のうちから智者の名を貪り、人に勝とうと思う智欲餓鬼がおり、その後、江湖頭餓鬼、転衣餓鬼、寺餓鬼、法幢餓鬼、隠居餓鬼と、この思いを本にしてあらゆる餓鬼の心を造り出し、片時も安らかなことがなく、一生むなしく餓鬼の苦しみに責められ、未来永劫この思いに引かれて三悪道に堕ちるような者ばかりである。必ず用心して餓鬼道を免れなさい。また人に娑婆を授けられてはならない。あなたを長老にしようと言ったり、良い遍参僧だ、学問をやめるのは惜しいなどと言ったり、とにかくあなたの身を立てさせようと言う人は、みな娑婆を授ける人である。今の世に娑婆を奪ってくれる人は一人もいない。みな名利を授ける人ばかりである。よくよく用心して、娑婆を授けられてはならない、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、道を知らぬは是非も無き事也。今時侍の子どもが出家して、死人の皮を剝ぎ、世を渡る者多し。究めたる非興也。菩提の為めには出家然るへし。身過の為めには非義也。百石も望むこそ苦なれ、身一つ過ぎる分は安き事也。必ず志なく無道心にして出家し、人の信施を受くへからす。一向足軽にてもして過ぎたるか能き也。世間を以て地獄に入りたるは、仏法を以て救ふ頼みあり、仏法を以て地獄に入りたる者、なにを以て救ふへきや。永劫浮ふへき便り無しと也。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る人来り、今時の出家の善悪を見分得ずと云ふに、示して曰く、只出家を宜しとし、入家を悪しとす。謂ふは幼少より寺を望み、位を望み思つて習学する者は、皆是入家、餓鬼入道也。是れを離て仏道を思ふ者、真の出家也。
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『驢鞍橋』卷上又云、扨もたわけた事哉。喰はねば飢るし、着ねば寒し、洗はねばむさし、夏は熱し、扨痛し痒し、何の用にも無き物を楽む事哉。如是秘蔵して何の為めぞと思へば、日夜悪業計りを作して、永刧の苦因となす。極めて愚なる事に非ずや。只能く此道理を信得して、此からだに離るべき也。嗚呼是非に及ばぬは、今時の出家此道理を忘れ、仏法を外に心得、悟を求め、見解を求め、経文語録に着し、剰へ名聞利養に住す。法の筋の差ふたる事天地遥也。当寺の衆も爰に於て大に驚き、飛んて出づる程思はれずんば、何の詮も有るべからずと也。
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『驢鞍橋』卷下一日、示して曰く、今時の修行者、大略輪廻の業を免るべからす。夫れ成仏と云ふは、三界出離を旨として、名に離れ相に離れ、我に離れ、娑婆に離れ、一切にぐつと離ること也。総而此の娑婆にあらゆることの間に落るは、皆是れ輪廻の業と也。
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『驢鞍橋』卷上去る暁衆中に向て曰く、何と御坊主達、次第に真実に成るや、少しも起る心有りや。亦曰、其方達も泣長老と成り、大寺の住持と成るへからず。只一盃庵に心安く居たるが、修行の為めには增しなるへし。其れでも後には富貴に成る者なり。能く用心すへき也。亦一僧、師の胸をさするに向て曰、我胸不断指張りて居る也。殊に暁は一入切也。是れを少し其方達に遣りたしと也。
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『驢鞍橋』卷上夜話の次てに去る僧云、町を通り見れば、用も無き物をちよつとほしいものかなと思ふ心出づる也。師曰、夫れは餓鬼道に久しく在りし習気なるべし。時に又一人在り曰、某も随分此心を滅せんと仕れ共、なにとしても失はず。師曰、其心にさからうべからず、唯一筋に念仏せらるへし。念仏の功積らば、万事は自ら失ふへしと也。