驢鞍橋 / 卷上
一日因果の理を破る者に示して曰く、我人を打てば人亦我を打つ、人に能く向へは人亦我によし。是れ眼前の道理なり。其上三時業報の因果歴然の佛說明也。然るに佛說を信せぬは、其方は佛より上なり、近頃珍しき人也。亦彼の者誦經すれば口が成佛仕るやと云ふ。師曰、先づ口なりとも成佛するかよきなり。總して今時勤めは心に有りて業にあらすと云ふ者錯多しと也。
新字:一日因果の理を破る者に示して曰く、我人を打てば人亦我を打つ、人に能く向へは人亦我によし。是れ眼前の道理なり。其上三時業報の因果歴然の仏説明也。然るに仏説を信せぬは、其方は仏より上なり、近頃珍しき人也。亦彼の者誦経すれば口が成仏仕るやと云ふ。師曰、先づ口なりとも成仏するかよきなり。総して今時勤めは心に有りて業にあらすと云ふ者錯多しと也。
書き下し
一日因果の理を破る者に示して曰く、我人を打てば人亦我を打つ、人に能く向へは人亦我によし。是れ眼前の道理なり。其上三時業報の因果歴然の仏説明也。然るに仏説を信せぬは、其方は仏より上なり、近頃珍しき人也。亦彼の者誦経すれば口が成仏仕るやと云ふ。師曰、先づ口なりとも成仏するかよきなり。総して今時勤めは心に有りて業にあらすと云ふ者錯多しと也。
現代語訳
ある日、因果の道理を否定する者に示して言われた。私が人を打てば、人もまた私を打つ。人に良く向かえば、人もまた私に良くしてくれる。これは目の前の道理である。そのうえ、三時の業報の因果がはっきりしているという仏の説も明らかである。それなのに仏の説を信じないとは、あなたは仏より上なのか。近ごろ珍しい人だ。また、その者が、お経を読めば口が成仏するのですか、と言った。師は言われた。まず口だけでも成仏するのがよい。おおよそ今どき、勤めは心にあって行いにはない、と言う者には誤りが多い、と。
解説

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『驢鞍橋』卷中師衆に対して曰く、先年三州にて、去る者、仏像を木履にして、馬舟抔にしけるが。頓てどすに成り、もらびの身と成る去る和尚見て曰く、汝仏像を破りし罰にて、加様の形も成る、無慚の事哉とありけれは、どすが曰く我は仏像を破りし罰にてどすと成る、仏像は何の罰にて我に馬舟にせられたりや。和尚無対。各は何と答へんや。衆無語師答て曰く其心かとす也。やれ善人の仏を作り寺を造るは、皆我身心を造り立る也。又悪人の仏を破り寺を破るは、我身心を破る也。木仏に善悪の心なし。皆我心にて我と作す所也
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『囲炉夜話』第二十一則・白に人の財を得明らかに國法を犯さば、罪累豈に能く幸ひに逃れんや。白に人の財を得れば、賠償は還た倍を加ふるを要す。
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『修証義』第一章 総序今の世に因果を知らず。業報を明らめず。三世を知らず、善悪を弁へざる邪見の党侶には群すべからず。大凡因果の道理、歴然として私なし。造悪の者は堕ち。修善の者は陞る、毫釐も貳はざるなり。若し因果亡じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。
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史記 李将軍列伝諸々の広の軍吏及び士卒或いは封侯を取る。広嘗て望気の王朔と燕語して、曰く、「漢の匈奴を撃ちしより広未だ嘗て其の中に在らざることあらず。而るに諸部の校尉以下、才能中人に及ばず、然れども胡を撃つの軍功を以て侯を取る者数十人。而して広は人に後れず。然れども尺寸の功の以て封邑を得る者無きは、何ぞや。豈に吾が相当に侯たるべからざるか。且つ固より命なるか」と。朔曰く、「将軍自ら念へ。豈に嘗て恨む所有るか」と。広曰く、「吾嘗て隴西の守と為る。羌嘗て反す。吾誘ひて降す。降る者八百余人。吾詐りて同日に之を殺す。今に至るまで大いに恨むは独り此のみ」と。朔曰く、「禍は已に降れるを殺すより大なるは莫し。此れ乃ち将軍の侯を得ざる所以の者なり」と。後二歳、大将軍・驃騎将軍大いに出でて匈奴を撃つ。広数々自ら行かんことを請ふ。天子以て老いたりと為し、許さず。良久しくして乃ち之を許し、以て前将軍と為す。是の歳は、元狩四年なり。広既に大将軍青に従ひて匈奴を撃ち、既に塞を出づ。青虜を捕へて単于の居る所を知り、乃ち自ら精兵を以て之に走り、而して広をして右将軍の軍に并せて、東道より出でしむ。東道は少しく回遠にして、大軍の行くに水草少なく、其の勢屯行せず。広自ら請ひて曰く、「臣の部は前将軍為り。今大将軍乃ち徙して臣をして東道より出でしむ。且つ臣結髪より匈奴と戦ふ。今乃ち一たび単于に当たるを得たり。臣願はくは前に居り、先づ単于に死せん」と。大将軍青も亦陰かに上の誡めを受く。以為へらく李広は老いて、数奇なり、単于に当たらしむる毋かれ、恐らくは欲する所を得ざらんと。而して是の時公孫敖新たに侯を失ひ、中将軍と為りて大将軍に従ふ。大将軍も亦敖をして与に倶に単于に当たらしめんと欲す。故に前将軍広を徙す。広時に之を知り、固く自ら大将軍に辞す。大将軍聴かず。長史をして書を封じて広の莫府に与へしめ、曰く、「急に部に詣れ。書の如くせよ」と。
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『十善法語』巻第十二・不邪見戒之下又前漢于定国カ父于公カ。此門ヨリ駟馬ノ車ヲ出スヘキソト。漢鄧禹カ吾百万ノ兵ニ将トシテ。未嘗テ妄ニ一人ヲ殺サス。後世必興ル者有ント。于公カ後ハ于定国カ封侯ヲ得ル。鄧禹カ後ハ鄧皇后カ国母ト為タシヤ。此類古今多キシヤ。正法ノ東流セヌ已前モ。道ハカクレスシヤ。仏出世ニモアレ。仏未出世ニモアレ。蔽テ蔽ハレヌシヤ。又鬼神ト云モノ。此モ蔽テ蔽ハレヌシヤ。隠シテカクサレヌシヤ。古人カ幽ニシテ鬼神トナリ。明ニシテ人トナルト云モ。且ク人間肉眼ヨリ云言葉シヤ。三界夢裡ノ差別。何ノ処カ幽暗ナラサルヘク。法性等流ノ縁起。何ノ処カ顕明ナラサルヘキシヤ。
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『正法眼蔵随聞記』巻一或時奘問て云く、如何是不味因果底道理、師云く、不動因果なり、云く、なんとしてか脫落せん、師云く、因果歴然なり、云くかくの如くならば因、果を引起すや、果、因を引起すや、師云く、総てかくの如くならばかの南泉の猫児を斬るがごとき、大衆既に道ひ得ず、便ち猫児を斬却しおはりぬ、後に趙州頭に草鞋を戴きて出たりし、亦一段の儀式なり、