驢鞍橋 / 卷上
又云、扨もたわけた事哉。喰はねば飢るし、着ねば寒し、洗はねばむさし、夏は熱し、扨痛し痒し、何の用にも無き物を樂む事哉。如是秘藏して何の爲めぞと思へば、日夜惡業計りを作して、永刧の苦因となす。極めて愚なる事に非ずや。只能く此道理を信得して、此からだに離るべき也。嗚呼是非に及ばぬは、今時の出家此道理を忘れ、佛法を外に心得、悟を求め、見解を求め、經文語錄に着し、剩へ名聞利養に住す。法の筋の差ふたる事天地遙也。當寺の衆も爰に於て大に驚き、飛んて出づる程思はれずんば、何の詮も有るべからずと也。
新字:又云、扨もたわけた事哉。喰はねば飢るし、着ねば寒し、洗はねばむさし、夏は熱し、扨痛し痒し、何の用にも無き物を楽む事哉。如是秘蔵して何の為めぞと思へば、日夜悪業計りを作して、永刧の苦因となす。極めて愚なる事に非ずや。只能く此道理を信得して、此からだに離るべき也。嗚呼是非に及ばぬは、今時の出家此道理を忘れ、仏法を外に心得、悟を求め、見解を求め、経文語録に着し、剰へ名聞利養に住す。法の筋の差ふたる事天地遥也。当寺の衆も爰に於て大に驚き、飛んて出づる程思はれずんば、何の詮も有るべからずと也。
書き下し
又云、扨もたわけた事哉。喰はねば飢るし、着ねば寒し、洗はねばむさし、夏は熱し、扨痛し痒し、何の用にも無き物を楽む事哉。如是秘蔵して何の為めぞと思へば、日夜悪業計りを作して、永刧の苦因となす。極めて愚なる事に非ずや。只能く此道理を信得して、此からだに離るべき也。嗚呼是非に及ばぬは、今時の出家此道理を忘れ、仏法を外に心得、悟を求め、見解を求め、経文語録に着し、剰へ名聞利養に住す。法の筋の差ふたる事天地遥也。当寺の衆も爰に於て大に驚き、飛んて出づる程思はれずんば、何の詮も有るべからずと也。
現代語訳
また言われた。なんともたわけたことだ。食わなければ飢えるし、着なければ寒いし、洗わなければ汚い。夏は暑いし、さて痛い、かゆい。何の役にも立たないものを楽しんでいることだ。このように大切にして何のためかと思えば、日夜悪業ばかりを作って、永劫の苦しみの因としている。きわめて愚かなことではないか。ただよくこの道理を信じ得て、この体から離れるべきである。ああ、どうしようもないのは、今の出家がこの道理を忘れ、仏法を外のことと心得、悟りを求め、見解を求め、経文や語録に執着し、そのうえ名聞利養にとどまっていることだ。法の筋の違っていることは、天と地ほど遥かである。この寺の衆も、ここに大いに驚いて、飛び出すほどに思わなければ、何の甲斐もないだろう、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下去る暁、衆中に向て曰く、扨てもたわけたこと哉、何の変も無い物を楽むこと也。立つも苦、居るも苦、熱も苦、寒も苦、痛も苦、痒も苦、病苦死苦有り、扨て又随ふを愛し、背くを怨み、扨て扨ていやな苦体哉。平生此の道理計を考へたるか能き也。誠に此の腐物に付で一として楽むべきこと無きか、何としても秘蔵にて居る也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、道を知らぬは是非も無き事也。今時侍の子どもが出家して、死人の皮を剝ぎ、世を渡る者多し。究めたる非興也。菩提の為めには出家然るへし。身過の為めには非義也。百石も望むこそ苦なれ、身一つ過ぎる分は安き事也。必ず志なく無道心にして出家し、人の信施を受くへからす。一向足軽にてもして過ぎたるか能き也。世間を以て地獄に入りたるは、仏法を以て救ふ頼みあり、仏法を以て地獄に入りたる者、なにを以て救ふへきや。永劫浮ふへき便り無しと也。
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『驢鞍橋』卷下縦ひ見性の人といふとも、如是諸訛有り。その上我も右の如く段々のこと移る程修しつめ、見処迄も打捨て、本に帰りては修し修し仕りけれども、今に此の糞袋は惜き也。其方も今より出家して八十迄修して見られよ。何の変も無き物ぞ。然る間、剃ても機違、すらでも機違と思ふてすらば、剃りめされよ。剃りたらはよからんと思ふてすられば、大きに差ふべし。何の替りたることも有るべからず。若し替ることあらば、天狗か気違なるべし。彼人良有て云ふ、今日迄は加様に存候が、後又出家を遂けずんば、いな物なるべし。師曰く、先よりの云分一つとして切れたることなし。後還俗せば、脚軽ても為て過きめされよ。後何と成りたらは、誰か何と云はん抔と思ふは切れぬ心也。
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『驢鞍橋』卷下つきの日、仏法病ある者を呵して曰く、其方は仏法有り、我は仏法なし。何としても格合ふべからす。向後出入無用也。又曰く、総じて人人此腐物を持ちながら、是れに眼を著けす、余所を沙汰して過す物也。扨て扨て愚也。昨日も正庵大息をつき病み苦むを見て、髄に透ていやな体哉と思はるゝ也。我始めより是れに眼を著けて修す。余所仏法に眼を着けす、今は大事に成り、いやに迫て居ること、其親に離れたそ、子を殺してずと云ふ様なことに非す、中中切也。この年迄如是すれとも、隙え明けぬ故に、是とは云はれねども、乍去我程にしつめたる人も多くはあらじと也。
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『驢鞍橋』卷下一日、食時の次で、愕然として曰く、扨ても扨ても詮なきこと哉、日日食込み食込みするは是れ何の為めそや。食ては、娑婆を楽み楽み、あゝたわけたこと哉と也。
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『驢鞍橋』卷上一日右の僧に示して曰く、我も悟りなどと云ふ事を知らず。其方達も左様の事を求めずとも、人間に生を得、出家と成りたる功徳に、なにとぞして餓鬼道を免かるへし。殊に今時の出家は、餓鬼心深き也。先づ小僧より智者の名を貪り、人に勝たん事を思ふ智欲餓鬼有り、其後江湖頭餓鬼、転衣餓鬼、寺餓鬼、法幢餓鬼、隠居餓鬼、此念を本として所有餓鬼心を造り出し、片時も安き事なく、一生空く餓鬼の苦に責められ、未来永劫此念に引かれて、三悪道に堕すべき類ひばかり也。必ず用心して餓鬼道を免かれめされよ。又人に娑婆を授けらるゝ事莫かれ。或は汝を長老になさんとも云ひ、又は能き遍参僧也、学文を休するは惜しき事抔と云ひ、兎角其方身上を持たせん抔と云ふは、皆娑婆を授くる人也。今時娑婆を奪ふ人一人も無し、皆名利を授くる人計り也。能々用心して娑婆を授けらるゝ事莫かれと也。