驢鞍橋 / 卷上
壬辰八月日、一僧某殿大坂御番に一兩日中に上り給ふと云ふ。師聞て曰、當春聞きし時は、まだ間有る樣に思はれけるが、いつの間にか月日立ち、程無く二三日に推詰りけるよ。我命も今は有る樣に思ふが、俄にこそ詰らんずよと也。
新字:壬辰八月日、一僧某殿大坂御番に一両日中に上り給ふと云ふ。師聞て曰、当春聞きし時は、まだ間有る様に思はれけるが、いつの間にか月日立ち、程無く二三日に推詰りけるよ。我命も今は有る様に思ふが、俄にこそ詰らんずよと也。
書き下し
壬辰八月日、一僧某殿大坂御番に一両日中に上り給ふと云ふ。師聞て曰、当春聞きし時は、まだ間有る様に思はれけるが、いつの間にか月日立ち、程無く二三日に推詰りけるよ。我命も今は有る様に思ふが、俄にこそ詰らんずよと也。
現代語訳
壬辰の年八月、一人の僧が、某殿が大坂の御番に、一両日中に上られるそうです、と言った。師は聞いて言われた。この春に聞いたときは、まだ間があるように思われたが、いつの間にか月日が経って、まもなく二、三日に押し詰まったのだな。私の命も今はまだあるように思うが、にわかに押し詰まるだろうよ、と。
解説
春に聞いたときは遠い先のことに思えた知人の大坂赴任が、気づけばあと二、三日に迫っていた。その何気ない話から、正三は、自分の命もまだあると思っているうちに、突然押し詰まるのだろう、と思いを馳せる。予定の日が思ったより早く来るという誰もが経験する感覚を、死の自覚に結びつけている。締め切りや期限が迫ったときの焦りを、人生の時間の使い方を見直す機会にする視点を与えてくれる。
この章句が説くこと
時間期限無常命日常気づき
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上壬辰冬夜の晩示して曰く、月日の立つ事、扨々間も無き事哉。生死大事なり、各々うつかと日を送るへからす。正三か七十に余るを年寄とこそ思はるらん。わかき衆を始め此座中にも、我より年寄有らんも実に不定也。臘月三十日来らずんば知らぬ事なり。必ず油断めさるゝなと也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る処へ至り玉ふに、其家の代官知行処へ往くとて、途中にて少し煩ひ死しける由申来る。師聞き愕然として曰く、扨々不便千万の事哉、我をも娑婆をも実に有ると思ひ居て俄に死す。苦み計り難し、嘆痛敷事也。爰を以て思へは少し志有りて、今か今かと片腰懸けたる様にも思ひ居る者は、亦大なる徳也。其日さまざまの事有り、晩に至りて曰く、一日徒に飮食したり、闇魔王に腹を打破られんすよと也。
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『驢鞍橋』卷上一日亡者弔ひの次て、師愕然として曰く、皆人計りを弔ふ弔ふと思つて、我も頓て弔らはるへしと云ふ事を知らず。仮にも思ひよらず、只有りて俄に詰りてぎくついて死す。さても暗き物哉と也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、人毎に死を忘れて今日角有れば、明日も角有らんと思ふ。亦人人今ではあらじと思ふ物也。究めて聞き事也。左様に思ひ居たる者共皆死失せし也。彼等も時を知るにあらず、各各やうに思ひし者共也。此理を弁へずあだなる身を我身と思ひ、仮の娑婆を我娑婆と思ひ、万才楽と限りなく楽み居る也。如是思懸けなき処に、俄に闇魔の使ふと来り、五臓六腑を責破り、命を責め取る時、眼くらみ耳かすかにして、舌すくみ総身に死苦せまり、苦みの堪えがたきのみならず、命の惜しさ娑婆のなごりの惜しさ云ふ計りなく、前後暗くして何くへ行くと云ふ道やりなく、其時に悔ふるともかひあらんや。
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『驢鞍橋』卷下去る暁ふと曰く、われ只今しぬと云ふきに成り、ひして迫て居る也。久しく如是有る間、最はやひまあかんずことじやが、扨て扨てかたき物哉と也。
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『驢鞍橋』卷上去る暁衆に語て曰く不断には無きが、時々死機せまりて切也。亦暁ごとに時定まりて、大事ほぞの下より起り、胸に責め塞つて中々心安く息をつがるゝやうな事に非す。時に僧問、生死の大事を大事と申すや。師曰、何が大事と云ふとはなし、唯大事也。