驢鞍橋 / 卷上
去る曉衆に語て曰く不斷には無きが、時々死機せまりて切也。亦曉ごとに時定まりて、大事ほぞの下より起り、胸に責め塞つて中々心安く息をつがるゝやうな事に非す。時に僧問、生死の大事を大事と申すや。師曰、何が大事と云ふとはなし、唯大事也。
新字:去る暁衆に語て曰く不断には無きが、時々死機せまりて切也。亦暁ごとに時定まりて、大事ほぞの下より起り、胸に責め塞つて中々心安く息をつがるゝやうな事に非す。時に僧問、生死の大事を大事と申すや。師曰、何が大事と云ふとはなし、唯大事也。
書き下し
去る暁衆に語て曰く不断には無きが、時々死機せまりて切也。亦暁ごとに時定まりて、大事ほぞの下より起り、胸に責め塞つて中々心安く息をつがるゝやうな事に非す。時に僧問、生死の大事を大事と申すや。師曰、何が大事と云ふとはなし、唯大事也。
現代語訳
ある明け方、衆に語って言われた。いつもではないが、ときどき死の気迫が迫って切実である。また明け方ごとに決まった時刻に、大事が臍の下から起こり、胸に責め塞がって、なかなか安らかに息をつけるようなものではない。そのとき僧が尋ねた。生死の大事を大事と申すのですか。師は言われた。何が大事ということはない。ただ大事なのである、と。
解説
明け方ごとに、下腹から胸へ突き上げてくる大事の感覚を、正三は率直に語る。それは生死の問題のことですか、と整理しようとする僧に、何が大事ということはない、ただ大事なのだ、と答える。言葉で名前をつけて分類した瞬間に、その切実さは薄れてしまう。本当に大切な問いは、定義する前にまず身に迫るものとして感じられる。頭で整理しようとする癖に、生の実感を手放すなと教える短い条である。
この章句が説くこと
一大事死機実感言語化切実晩年
関連する章句
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史記 伯夷列伝「君子は世を没して名の称せられざるを疾む」。賈子曰く、「貪夫は財に徇じ、烈士は名に徇じ、夸者は権に死し、衆庶は生を馮む」と。「同明は相ひ照らし、同類は相ひ求む。雲は龍に従ひ、風は虎に従ふ。聖人作りて万物覩はる」。伯夷・叔斉は賢なりと雖も、夫子を得て名益々彰はる。顔淵は篤学なりと雖も、驥尾に附して行ひ益々顕はる。巌穴の士、趣舎此くの若き時有り、類名堙滅して称せられざるは、悲しいかな。閭巷の人、行ひを砥ぎ名を立てんと欲する者は、青雲の士に附くに非ずんば、悪んぞ能く後世に施かんや。
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孫子・虚実篇形に因りて勝を衆に措くも、衆は知ること能わず。人は皆な我が勝つ所以の形を知るも、吾が勝を制する所以の形を知る莫し。故に其の戦勝は復せずして、形に応ずること窮まり無し。
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『驢鞍橋』卷上一日去る僧来り、此比行脚の時、友に別れて俄に懶く成りたりと云ふ。師聞て曰く、仮に別れたるにさへ如是、況んや死して一人空く黄泉の旅に赴き、先も知らぬ闇路を行かん時さぞさぞ苦かるへし。兼て思知るへき事也。又曰く、其様に心変ずる物なる間、少々に気を養はずんは叶ふへからす。强く守り固く修め、何たる事にも苦まず、何ともなき様にすべし。兎角一大事起らで叶はす、大事さへ有らば大事を以て一切を使ふ也。
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『驢鞍橋』卷上心弥迷惑し、死出の山の大難堪え難く、正念を失ひ、死後畜生の如くにして冥より冥に落入り、其儘餓鬼畜生に体を受けん事、口惜き事に非すや。扨々恐るべき事也。かほとの大事を持ちながら、是れを忘れてたわ事の娑婆に心を抜かし居る事、大なる油断也。能く能く思ひ知り、此大事を平生引受けて守るべし。必ず一大事を忘れて世間に機を抜かすべからすと也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る長老来云、某此比坐禅の時、只今死す死すと云ふ気少しの間起る也。是れは気のへりたる儀なるへしや。師聞て曰く、夫れは内より我に授くる也、第一能事也。此機起らさる者は、外より授くる事也。
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『驢鞍橋』卷下去る暁ふと曰く、われ只今しぬと云ふきに成り、ひして迫て居る也。久しく如是有る間、最はやひまあかんずことじやが、扨て扨てかたき物哉と也。