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驢鞍橋 / 卷下

或人曰く、師この前、爰許に御登りの時、某問ふ、當地にて儒道佛道ましおとりの論を成す者多し。何れかましなるや。師曰く、夫れは源をくらへて知るべし、釋迦と孔子と德大にかはれり。その證據は、今時明德を用ゆる者、京中に誰かあるや、終に一人も聞かす。佛法は每日誓願寺等にて姥かゝの念佛をまをすを見よ、大なることに非すや。さて念佛をまをす理、少しも明德を守るにおとらす。若しおとりたると云はば、その者をつれ來れ、我論して聞かすへし。誠に論まけは、頸をきらるべしとなり。

新字:或人曰く、師この前、爰許に御登りの時、某問ふ、当地にて儒道仏道ましおとりの論を成す者多し。何れかましなるや。師曰く、夫れは源をくらへて知るべし、釈迦と孔子と徳大にかはれり。その証拠は、今時明徳を用ゆる者、京中に誰かあるや、終に一人も聞かす。仏法は毎日誓願寺等にて姥かゝの念仏をまをすを見よ、大なることに非すや。さて念仏をまをす理、少しも明徳を守るにおとらす。若しおとりたると云はば、その者をつれ来れ、我論して聞かすへし。誠に論まけは、頸をきらるべしとなり。

書き下し

或人曰く、師この前、爰許に御登りの時、某問ふ、当地にて儒道仏道ましおとりの論を成す者多し。何れかましなるや。師曰く、夫れは源をくらへて知るべし、釈迦と孔子と徳大にかはれり。その証拠は、今時明徳を用ゆる者、京中に誰かあるや、終に一人も聞かす。仏法は毎日誓願寺等にて姥かゝの念仏をまをすを見よ、大なることに非すや。さて念仏をまをす理、少しも明徳を守るにおとらす。若しおとりたると云はば、その者をつれ来れ、我論して聞かすへし。誠に論まけは、頸をきらるべしとなり。

現代語訳

ある人が言った。師が以前、こちらへお上りになったとき、私が尋ねた。当地では、儒道と仏道の優劣の論をする者が多い。どちらがまさっているのでしょうか。師は言われた。それは源を比べて知るがよい。釈迦と孔子とは、徳が大いに違っている。その証拠は、今どき明徳を用いる者が京中に誰かいるか。ついに一人も聞かない。仏法は、毎日誓願寺などで婆さんたちが念仏を申しているのを見なさい。大きなことではないか。さて、念仏を申す理は、少しも明徳を守ることに劣らない。もし劣っていると言うなら、その者を連れて来なさい。私が論じて聞かせよう。本当に論に負けたら、首を切られてもよい、と。

解説

儒教と仏教のどちらが優れているか、という議論に、正三は、京都で儒教の明徳を実践している人が一人でもいるか、仏教は毎日寺で老婆たちが念仏を唱えているではないか、と答える。理論の高尚さではなく、どれだけ多くの普通の人々の暮らしに根づいているかで教えの力を測る。そして、念仏の道理は明徳に少しも劣らない、論に負けたら首を切られてもよい、と言い切る。庶民の実践を重んじる正三の立場がよく出ている。

この章句が説くこと

儒仏論争明徳念仏庶民実践根づく

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