驢鞍橋 / 卷上
一日語て曰く、我は言句を聞くに、是れは理致にて分かる事、是れは意にて知る、言句によらぬ事ぢやと云ふ事が、聞きと早や胸にて分かる也。各々も修し行せられば、祖意も言句の意も移つるべし。扨亦機の移つると云ふ事知りめされたるか、我も四季の機抔は其儘移つる也。强く鍊鍛へて心さへ磨くれば、四時の機も不淨も無常も移つる物なれども、皆機がういて走る程に移つるへき樣なし。しつかとした機無くして修行成り難しと也。
新字:一日語て曰く、我は言句を聞くに、是れは理致にて分かる事、是れは意にて知る、言句によらぬ事ぢやと云ふ事が、聞きと早や胸にて分かる也。各々も修し行せられば、祖意も言句の意も移つるべし。扨亦機の移つると云ふ事知りめされたるか、我も四季の機抔は其儘移つる也。强く錬鍛へて心さへ磨くれば、四時の機も不浄も無常も移つる物なれども、皆機がういて走る程に移つるへき様なし。しつかとした機無くして修行成り難しと也。
書き下し
一日語て曰く、我は言句を聞くに、是れは理致にて分かる事、是れは意にて知る、言句によらぬ事ぢやと云ふ事が、聞きと早や胸にて分かる也。各々も修し行せられば、祖意も言句の意も移つるべし。扨亦機の移つると云ふ事知りめされたるか、我も四季の機抔は其儘移つる也。强く錬鍛へて心さへ磨くれば、四時の機も不浄も無常も移つる物なれども、皆機がういて走る程に移つるへき様なし。しつかとした機無くして修行成り難しと也。
現代語訳
ある日語って言われた。私は言葉を聞くと、これは理屈で分かること、これは心で知ることで言葉によらないことだ、ということが、聞いたとたんに胸で分かる。皆さんも修行されれば、祖師の意も言葉の意も移ってくるだろう。さて、気迫が移るということを知っておられるか。私も四季の気迫などはそのまま移ってくる。強く練り鍛えて心さえ磨けば、四季の気迫も、不浄も、無常も移ってくるものだが、みな気迫が浮いて走っているから、移ってくるはずがない。しっかりとした気迫がなくては、修行は成りがたい、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日意の暗き行者を諫めて曰く、其方は先づ言句を錬鍛べて意に徹すへし。彼者云、某一処を守る機有り、熟せば万事に相応すべき間、言句の意を明めて詮なしと存ず。但し無理に强く修すると、意を受くると差別有りや。師曰、中々意暗くしては修行はかどるべからす、先づ其方は専ら意を受習はるべしと也。
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、修行と云ふ物、中中上り難き物也。我今十二時中坐禅ならさる事なし。喩へは大勢に交り、上下へかえし、相撲を取り、躍をゝとり、何程はね狂ひたりとも、坐禅の機少しもたじろくへからす。また好く若き時より心つきて自己を守りしが、其時分よりはや念には勝つてばかされざる也。夫れより次第よく修しつめ何たる事にもたじろかぬほどに仕付けたれども、まだ夫れでも生死の為めには不成、中々大儀な物也。
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『驢鞍橋』卷上一日衆に語つて曰く、某殿謂へるは、人に逢つて能き事を聞かんと思ふは僻也。耳にて聞き得る事は用に立つべからす。縦ひ用に立つ事也とも、忘るゝ時は何程聞きてもむだ事也。只度々逢ひぬれば其機を受けて好し。兎角機に移らぬ事は用に立つへからず。我に逢へば機を受けて、しばしはよしと云はれたり。此前より我に逢ひたる人の中に、加様に我に逢ひたる人なし。皆能き言聞きに来り、或は正三見物に来るつれ計り也。誠に我に逢はんは、此用処只一つ也。我機を受けずんば、一日二千度逢ふとも益有るべからずと也。
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『驢鞍橋』卷上一日来者に語て曰く、わがをつ切りの中にも云ひ習ふて、道理の上手は多きなり。然れども修行する者は一人もなし。我此前石の平にて少し沙汰しければ、皆理窟仏法に成るに依て飽果て、ふつと理を沙汰せず、ちよつとよりから一向に修し行する事計りを授くる也。総して仏道には利根知を嫌ふて、只頓機を法器とす。殊に禅法は執着を捨つる一つ也と云ふは、平生切端を用ゆる事也。生死を守ると云ふも切端一つ、禅機と云ふも切端の事也。
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『驢鞍橋』卷上去る暁衆に向て曰く、傍に居れば機移る物也、何れも機移るや、機移ると云ふは勇猛の機一つ也。何と二王不動の像を見ても機うつらざるや、定めて推量には見知り得、移り度と思ふ心は有らんずと也。
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『驢鞍橋』卷上一日曰く、今時の諸宗に仏道の大筋を教へたし。何の口伝も無き事、只志を進め真実を発し、修し行して仏祖の意を大切にする計り也。此心法は徹しても大事、徹せすしても大事也。兎角修しさへすれは心磨けて行く程に、悟らずして悟る也。今時も悟らすして悟つて居る人はあるべし。扨も笑止千万の事は、法の筋違つて居る故に、悟つて迷ふ人世に多しと也。