驢鞍橋 / 卷上
時に或人云、此比去る處に遁世者有り、誠に彼等も異風に見えたり、乍去理を說く事明なり。師聞て曰、云ひ習へば如何程の事も云ふ物也。今時の佛法者理窟に落ちて、是と思ふ諸人も、是れを貴き事に思つて、此人を貴ぶ也。誠に理窟程用に立たぬ物なし、却て大なる怨と成る物也。我も若き時此に錯りたる事有り、必ず理窟に落ちめさるゝなと也。
新字:時に或人云、此比去る処に遁世者有り、誠に彼等も異風に見えたり、乍去理を説く事明なり。師聞て曰、云ひ習へば如何程の事も云ふ物也。今時の仏法者理窟に落ちて、是と思ふ諸人も、是れを貴き事に思つて、此人を貴ぶ也。誠に理窟程用に立たぬ物なし、却て大なる怨と成る物也。我も若き時此に錯りたる事有り、必ず理窟に落ちめさるゝなと也。
書き下し
時に或人云、此比去る処に遁世者有り、誠に彼等も異風に見えたり、乍去理を説く事明なり。師聞て曰、云ひ習へば如何程の事も云ふ物也。今時の仏法者理窟に落ちて、是と思ふ諸人も、是れを貴き事に思つて、此人を貴ぶ也。誠に理窟程用に立たぬ物なし、却て大なる怨と成る物也。我も若き時此に錯りたる事有り、必ず理窟に落ちめさるゝなと也。
現代語訳
そのとき、ある人が言った。近ごろある所に遁世者がいます。本当に彼らも変わった風に見えますが、それでも道理を説くことは明快です。師は聞いて言われた。言い習えば、どれほどのことでも言うものだ。今の仏法者は理屈に落ちて、正しいと思う人々も、それを尊いことと思って、この人を尊ぶのである。本当に理屈ほど役に立たないものはない。かえって大きな怨となるものだ。私も若いときこれに誤ったことがある。決して理屈に落ちてはならない、と。
解説
理を説くのが上手な遁世者を褒める人に、正三は、言い慣れればどんなことでも言えるものだと冷ややかに応じる。そして、理屈ほど役に立たないものはなく、かえって害になると言い切る。自分も若いころ理屈で誤ったという告白が添えられているのが重い。弁が立つことと、実際に道を歩めていることは別である。説明の上手な人を、それだけで実力者と見なしていないか、話の巧さに惑わされない目を持てと教えている。
この章句が説くこと
理屈弁舌実践遁世者自戒見極め
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