驢鞍橋 / 卷下
一日、天德院の茶堂にて、僧の茶をたつるを見て、若衆に茶のたてやうを敎ゆべしと、自ら茶をたつる摸樣をなして曰く、莫妄想莫妄想とたつへしと也。
新字:一日、天徳院の茶堂にて、僧の茶をたつるを見て、若衆に茶のたてやうを教ゆべしと、自ら茶をたつる摸様をなして曰く、莫妄想莫妄想とたつへしと也。
書き下し
一日、天徳院の茶堂にて、僧の茶をたつるを見て、若衆に茶のたてやうを教ゆべしと、自ら茶をたつる摸様をなして曰く、莫妄想莫妄想とたつへしと也。
現代語訳
ある日、天徳院の茶堂で、僧が茶を点てるのを見て、若い衆に茶の点て方を教えよう、と言って、自ら茶を点てる身振りをして言われた。莫妄想、莫妄想と点てなさい、と。
解説
茶を点てる僧を見た正三は、若い弟子に茶の点て方を教えようと、自ら茶筅を振る身振りをしながら、莫妄想、莫妄想(妄想するな)と点てよ、と言う。茶の作法の細かい手順ではなく、一振り一振りに雑念を払う心を込めることこそが茶の点て方だ、と。日常のあらゆる所作が修行になるという正三の教えを、茶道という身近な所作で示した、軽やかで印象的な一場面である。
この章句が説くこと
茶道莫妄想所作日常集中雑念
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下師聞て曰く、その和尚は我も近付なるか、左様の処の悪い人也。夫れは和尚の弔ひめされで叶はぬ処也。因に衆に向て御坊主達、何と弔ひめされんずか。さあ弔ひめされんよと責め給ふ。衆擬議す。師早や成らぬずと云ふて、自らのびあがり、大手を開けつゝ倒す□勢を作して曰く、莫妄想となぜつゝ倒すまいことはと也。時に一老宿有り曰く、扨ても有難き御弔ひ哉、忽ち消え申したり。誠に彼の和尚は、何をかと早や実を授けられたりと也。師又曰く、近代の長老達、心法の心得悪き故に、幽霊を見たる抔と云ふ人多し。笑止なること也。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る僧、師の腰をひねる。師呵して曰く、我辺に居る者か、左様に機を抜かす筈では無いが扨て扨て用に立たぬやつ哉。機を抜かして作す時は、我覚えありと也。
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『驢鞍橋』卷下夜話の次で、一貫此頃、修行少しだるみたると云ふ。師云く、夫れは我知らぬこと也。我はじりじりとたゞ物次第强に强まり、終に六十余にして、莫妄想の意不図と乗りたり。只其時は、莫妄想莫妄想と躍つて有り度心にて有り、実に頸を切らるゝとも、に成て居さうに有りし也。然れとも打捨て、自己に取て還し、様々こね来れども、今に糞袋の秘蔵の念は休ます。扨ても実と云ふ物は深き物哉と也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る和尚来り云ふ、某久しく坐禅仕れども、妄想少しも不止、何れもは如何候や。師聞て曰く、夫れは止修行そうに存する也。縦ひ止んでも用に立つ事に非ず、心の修する位を御存しなそうなと也。
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『驢鞍橋』卷上慶安二の春、洞家の僧来り法要を問ふ。師示して曰く、仏道修行と云ふは自己を守ること也。曹洞宗に老僧も小僧も云ふ事也。自己を取放ちたりと、是れ好き詞也。是れに仍て自己を忘るべからすと云ふ事を、草分の中に書く。此段を能く見るべし。修行の肝要は、自己を守る一つ也。一切の煩悩は機の抜けたる処より起る也。只强く眼を着けて、十二時中万事の上に機を抜かさず。急度張懸けて守り、六賊煩悩を退治すべし。夢中とも抜けぬ程に守らで叶はず。随分守ると思ふても覚えずぬけて、彼の煩悩に負くへし。ともすれば意馬妄想の叢にかけ入り、心猿名利の梢にひよつひよつと移るべし。强く眼を着け、莫妄想の一句を轡づらと成して、急度引詰めて守るべし。刹那も機を抜かすへからすと也。
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『驢鞍橋』卷下去る時、僧俗の修行者思の外心得悪しと発憤有る折節、去る僧来る。師見て曰く、出入の人人大方にも心得たるかと云ひければ、一人もなし。殊に坊主の生けた振見度なし。あらいやの御坊主達や。早々帰りめされよと云つて、急に逐ひ帰し給ふ也。