驢鞍橋 / 卷上
後日に醫者彼病者を遣はす。師前日の企の如く葬禮の儀式を爲し、其晩暮六より四過き迄、衆僧取廻して警策を打ち、經咒を以て責め、病者には禮拜をさせ、吊ひ給へば、病者不圖迯げ、門前の家に行倒れて、前後も知らず臥す。師其儘置くへしと云つて、衆を息め給ふ。明朝彼女人起來りて師を禮して曰、虫に責められ晝夜眠らさる事六十日餘也。今夜始めて前後を知らず臥す。今朝は夢の覺めたるか如くにして本の人間に罷成り。扨々有難き御慈悲哉。私の所存は最早今生は無き物也、機の違はぬ先に御殺し有りて也とも、御吊ひに預り度存せしに、今生にて再び人間に罷成る事忝き次第也と、感涙を流し禮謝して去る。師晩に曰、始めて聞く時は、人の目に見えて、實に虫ともの責むると云ふに依つて、手も無く吊ひ直すべしと思ふ。後來るを見れば機病也。是れは隙を取らんずと思ひけるが、造作なく直る事不思議也。總して直に責むるは忽ち吊ひにて直るべし。氣病はなほり難かるべしと也。
新字:後日に医者彼病者を遣はす。師前日の企の如く葬礼の儀式を為し、其晩暮六より四過き迄、衆僧取廻して警策を打ち、経咒を以て責め、病者には礼拝をさせ、吊ひ給へば、病者不図迯げ、門前の家に行倒れて、前後も知らず臥す。師其儘置くへしと云つて、衆を息め給ふ。明朝彼女人起来りて師を礼して曰、虫に責められ昼夜眠らさる事六十日余也。今夜始めて前後を知らず臥す。今朝は夢の覚めたるか如くにして本の人間に罷成り。扨々有難き御慈悲哉。私の所存は最早今生は無き物也、機の違はぬ先に御殺し有りて也とも、御吊ひに預り度存せしに、今生にて再び人間に罷成る事忝き次第也と、感涙を流し礼謝して去る。師晩に曰、始めて聞く時は、人の目に見えて、実に虫ともの責むると云ふに依つて、手も無く吊ひ直すべしと思ふ。後来るを見れば機病也。是れは隙を取らんずと思ひけるが、造作なく直る事不思議也。総して直に責むるは忽ち吊ひにて直るべし。気病はなほり難かるべしと也。
書き下し
後日に医者彼病者を遣はす。師前日の企の如く葬礼の儀式を為し、其晩暮六より四過き迄、衆僧取廻して警策を打ち、経咒を以て責め、病者には礼拝をさせ、吊ひ給へば、病者不図迯げ、門前の家に行倒れて、前後も知らず臥す。師其儘置くへしと云つて、衆を息め給ふ。明朝彼女人起来りて師を礼して曰、虫に責められ昼夜眠らさる事六十日余也。今夜始めて前後を知らず臥す。今朝は夢の覚めたるか如くにして本の人間に罷成り。扨々有難き御慈悲哉。私の所存は最早今生は無き物也、機の違はぬ先に御殺し有りて也とも、御吊ひに預り度存せしに、今生にて再び人間に罷成る事忝き次第也と、感涙を流し礼謝して去る。師晩に曰、始めて聞く時は、人の目に見えて、実に虫ともの責むると云ふに依つて、手も無く吊ひ直すべしと思ふ。後来るを見れば機病也。是れは隙を取らんずと思ひけるが、造作なく直る事不思議也。総して直に責むるは忽ち吊ひにて直るべし。気病はなほり難かるべしと也。
現代語訳
後日、医者がその病人を遣わしてきた。師は前日の計画どおり葬礼の儀式を行い、その晩の暮れ六つから四つ過ぎまで、僧たちが取り囲んで警策を打ち、経や呪文で責め、病人には礼拝をさせて弔われると、病人はふと逃げ出し、門前の家で行き倒れて前後も知らず眠り込んだ。師は、そのまま置いておけ、と言って、衆を休ませられた。翌朝、その女性は起きて来て、師に礼をして言った。虫に責められて昼夜眠れなかったことが六十日余りでした。昨夜初めて前後も知らず眠りました。今朝は夢から覚めたようで、元の人間に戻りました。なんともありがたいお慈悲です。私はもう今生はないものと思い、気が違う前にお殺しくださってでも、お弔いにあずかりたいと存じておりましたのに、今生で再び人間に戻れたことは、かたじけない次第です、と感涙を流して礼を述べて去った。師は晩に言われた。初めて聞いたときは、人の目に見えて、本当に虫どもが責めているというので、わけもなく弔い直せると思った。後で来たのを見れば、気の病であった。これは時間がかかるだろうと思っていたが、造作なく治ったのは不思議である。おおよそ本当に責められるものは、たちまち弔いで治るだろう。気の病は治りにくいだろう、と。
解説
この章句が説くこと
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老子・第8章上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与は仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。夫れ唯だ争わず、故に尤め無し。
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史記 老子韓非列伝老子は、楚の苦県厲郷曲仁里の人なり。姓は李氏、名は耳、字は耼、周の守藏室の史なり。孔子、周に適き、将に礼を老子に問はんとす。老子曰く、「子の言ふ所の者は、其の人と骨と皆已に朽つ。独り其の言在るのみ。且つ君子は其の時を得ば則ち駕し、其の時を得ざれば則ち蓬累して行く。吾之を聞く、良賈は深く藏して虚しきが若く、君子は盛徳あるも容貌は愚なるが若し、と。子の驕気と多欲、態色と淫志を去れ。是れ皆子の身に益無し。吾が以て子に告ぐる所は、是くの若きのみ」と。孔子去り、弟子に謂ひて曰く、「鳥は、吾其の能く飛ぶを知る。魚は、吾其の能く游ぐを知る。獣は、吾其の能く走るを知る。走る者には以て罔を為す可く、游ぐ者には以て綸を為す可く、飛ぶ者には以て矰を為す可し。龍に至りては、吾其の風雲に乗りて天に上るを知る能はず。吾今日老子を見るに、其れ猶ほ龍のごときか」と。
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