驢鞍橋 / 卷上
夜話の次で去る人、今時の出家には道心なしと云ふ。師聞て曰く、道心無き事は置て、先づ家を出たる者一人もなし。其故は今寺を追出したらば皆迷惑すべし。亦彼人云、今時の出家は佛事供養にも、施物少ければ惡く云ふ也。師曰く、それは當分使ふ事も有れは、貪るもまた道理あり、寺と云ふ物は、持つ程苦也。然れどもすき好みて離れす、未た持ざる者は是れを羨む。然るに志は寳也、志さへ少し付けは世間かいやに成るに仍て、望も休み、寺をも捨つる也。如是なり共修行者とは云はれず、され共是れ程の人も無し、况んや人喰犬のやうに急度咬みしめて居る氣質を修し出す人無し。扨も是非なき事也。
新字:夜話の次で去る人、今時の出家には道心なしと云ふ。師聞て曰く、道心無き事は置て、先づ家を出たる者一人もなし。其故は今寺を追出したらば皆迷惑すべし。亦彼人云、今時の出家は仏事供養にも、施物少ければ悪く云ふ也。師曰く、それは当分使ふ事も有れは、貪るもまた道理あり、寺と云ふ物は、持つ程苦也。然れどもすき好みて離れす、未た持ざる者は是れを羨む。然るに志は宝也、志さへ少し付けは世間かいやに成るに仍て、望も休み、寺をも捨つる也。如是なり共修行者とは云はれず、され共是れ程の人も無し、況んや人喰犬のやうに急度咬みしめて居る気質を修し出す人無し。扨も是非なき事也。
書き下し
夜話の次で去る人、今時の出家には道心なしと云ふ。師聞て曰く、道心無き事は置て、先づ家を出たる者一人もなし。其故は今寺を追出したらば皆迷惑すべし。亦彼人云、今時の出家は仏事供養にも、施物少ければ悪く云ふ也。師曰く、それは当分使ふ事も有れは、貪るもまた道理あり、寺と云ふ物は、持つ程苦也。然れどもすき好みて離れす、未た持ざる者は是れを羨む。然るに志は宝也、志さへ少し付けは世間かいやに成るに仍て、望も休み、寺をも捨つる也。如是なり共修行者とは云はれず、され共是れ程の人も無し、況んや人喰犬のやうに急度咬みしめて居る気質を修し出す人無し。扨も是非なき事也。
現代語訳
夜話のついでに、ある人が、今の出家には道心がない、と言った。師は聞いて言われた。道心のないことはさておき、まず家を出た者が一人もいない。そのわけは、今寺を追い出したら、みな困り果てるだろう。また、その人が言った。今の出家は、仏事や供養でも、施し物が少なければ悪く言います。師は言われた。それは当座に使うこともあるから、欲しがるのもまた道理がある。寺というものは、持つほど苦しい。けれども好き好んで離れず、まだ持たない者はこれを羨む。ところが、志は宝である。志が少しでも身につけば、世間が嫌になるので、望みも休み、寺も捨てるのである。このようであっても修行者とは言えないが、それほどの人もいない。まして人喰い犬のように、きっと噛みしめている気質を修め出す人はいない。なんとも仕方のないことである、と。
解説
この章句が説くこと
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『驢鞍橋』卷上一日語て曰く、何某殿は大なる修行者ではをりないか、何たる大病を受けて死すとも、隣あるきする様に死なんと云はれたり。時に一僧云、只左様に思ひたる計りにて、修行は仕さうな人に非す。師曰、ともあれ兎角大なる修行の種は有る人也。
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荀子・大略篇公行子之(こうこうしし)、燕(えん)に之(ゆ)き、曾元(そうげん)に塗(みち)に遇(あ)ひて曰く、「燕君(えんくん)は何如(いかん)」と。曾元曰く、「志(こころざし)卑(ひく)し。志卑き者は物を軽んじ、物を軽んずる者は助けを求めず。苟(いやしく)も助けを求めずんば、何ぞ能(よ)く挙(あ)がらん。氐羌(ていきょう)の虜(とりこ)たるや、其の係累(けいるい)せらるるを憂へずして、其の焚(や)かれざるを憂ふ。夫(か)の秋毫(しゅうごう)を利として、国家を害(そこな)ひ靡(ほろぼ)す、然も且(か)つ之を為す、幾(あ)に知計(ちけい)を為すと為さんや」と。
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論語・里仁篇子曰わく、いやしくも仁に志せば、悪しきこと無し。
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史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
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