驢鞍橋 / 卷下
或人語て曰く、師此前、板倉周防守殿へ見舞給ふ。咄の次で、周防殿曰く、京中に迷子有る則んは、其町の者に預け、親尋ね來る迄よく介抱可仕と申付ける也。是れ善事なりや。師聞て云はく、是れ善に非す、てかい罪造り也。小の虫を殺して、大の虫を助けよとてそ云ふに、夫れは小兒一人の爲め、一町の者を苦め給ふ道理也。御預とある則んは、尋ね來る間、何程町中の煩となることと思召や。周防殿曰く、然らは只捨置くべきや師曰く、迷子あらは周防の所へ連來れ、子を失ふ者は尋ね來れと仰付あつて、御手前に介抱なされたるかよき也。然る則んは、其親々も、定めて周防樣にまゐらんと思ひ苦勞せす、直にこなたへ參る也。是れを善根と申す也
新字:或人語て曰く、師此前、板倉周防守殿へ見舞給ふ。咄の次で、周防殿曰く、京中に迷子有る則んは、其町の者に預け、親尋ね来る迄よく介抱可仕と申付ける也。是れ善事なりや。師聞て云はく、是れ善に非す、てかい罪造り也。小の虫を殺して、大の虫を助けよとてそ云ふに、夫れは小児一人の為め、一町の者を苦め給ふ道理也。御預とある則んは、尋ね来る間、何程町中の煩となることと思召や。周防殿曰く、然らは只捨置くべきや師曰く、迷子あらは周防の所へ連来れ、子を失ふ者は尋ね来れと仰付あつて、御手前に介抱なされたるかよき也。然る則んは、其親々も、定めて周防様にまゐらんと思ひ苦労せす、直にこなたへ参る也。是れを善根と申す也
書き下し
或人語て曰く、師此前、板倉周防守殿へ見舞給ふ。咄の次で、周防殿曰く、京中に迷子有る則んは、其町の者に預け、親尋ね来る迄よく介抱可仕と申付ける也。是れ善事なりや。師聞て云はく、是れ善に非す、てかい罪造り也。小の虫を殺して、大の虫を助けよとてそ云ふに、夫れは小児一人の為め、一町の者を苦め給ふ道理也。御預とある則んは、尋ね来る間、何程町中の煩となることと思召や。周防殿曰く、然らは只捨置くべきや師曰く、迷子あらは周防の所へ連来れ、子を失ふ者は尋ね来れと仰付あつて、御手前に介抱なされたるかよき也。然る則んは、其親々も、定めて周防様にまゐらんと思ひ苦労せす、直にこなたへ参る也。是れを善根と申す也
現代語訳
ある人が語って言った。師は以前、板倉周防守殿のところへ見舞いに行かれた。話のついでに、周防殿が言われた。京中に迷子があるときは、その町の者に預け、親が尋ねて来るまでよく介抱するよう申しつけている。これは善い事だろうか。師は聞いて言われた。これは善ではない。大きな罪作りである。小の虫を殺して大の虫を助けよ、と言うのに、それは子ども一人のために、町中の者を苦しめなさる道理である。お預けとあれば、尋ねて来るまでの間、どれほど町中の煩いになることかとお思いか。周防殿が言われた。それなら、ただ捨て置くべきか。師は言われた。迷子があれば周防のところへ連れて来い、子を失った者は尋ねて来い、と仰せつけて、ご自分のところで介抱なさるのがよい。そうすれば、その親々も、きっと周防様のところに行こうと思って苦労せず、直にそちらへ参る。これを善根と申すのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「離婁の明、公輸子の巧も、規矩を以てせざれば、方員を成すこと能わず。師曠の聰も、六律を以てせざれば、五音を正すこと能わず。堯舜の道も、仁政を以てせざれば、天下を平治すること能わず。今、仁心仁聞有りて、而も民其の澤を被らず、後世に法る可からざる者は、先王の道を行わざればなり。故に曰く、『徒善は以て政を為すに足らず、徒法は以て自ら行わるること能わず。』詩に云う、『愆らず忘れず、舊章に率い由る。』先王の法に遵いて過つ者は、未だ之れ有らざるなり。聖人既に目の力を竭くし、之に繼に規矩準繩を以てす。以て方員平直を為すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に耳力を竭くし、之に繼ぐに六律を以てす。五音を正すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に心思を竭くし、之に繼ぐに人に忍びざるの政をを以てす。而うして仁天下を覆う。故に曰く、『高きを為すには、必ず丘陵に因り、下きを為すには、必ず川澤に因る。』政を為すに、先王の道に因らずんば、智と謂う可けんや。是を以て惟だ仁者のみ宜しく高位に在るべし。不仁にして高位に在るは、是れ其の惡を衆に播するなり。上に道揆無く、下に法守無く、朝は道を信ぜず、工は度を信ぜず、君子は義を犯し、小人は刑を犯して、國の存する所の者は幸いなり。故に曰く、『城郭完からず、兵甲多からざるは、國の災いに非ざるなり。田野辟けず、貨財聚まらざるは、國の害に非ざるなり。』上、禮無く、下、學無ければ、賊民興り、喪ぶること日無けん。詩に曰く、『天の方に蹶(くつがえす)えさんとする、然く泄泄すること無かれ。』泄泄とは、猶ほ沓沓のごときなり。君に事えて義無く、進退禮無く、言えば則ち先王の道を非る者は、猶ほ沓沓のごときなり。故に曰く、『難きを君に責む、之を恭と謂う。善を陳べ邪を閉づる、之を敬と謂う。吾が君能わずとす、之を賊と謂う。』」
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孫子・勢篇勢に任ずる者は、其の人を戦わしむるや、木石を転ずるが如し。木石の性は、安ければ則ち静かに、危ければ則ち動き、方なれば則ち止まり、円なれば則ち行く。
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『韓非子』定法第四十三君術無ければ則ち上に弊われ、臣法無ければ則ち下に亂る。此れ一も無かる可からず、皆な帝王の具なり。
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孫子・始計篇法とは、曲制・官道・主用なり。
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李衛公問対・卷上制有るの兵は、能無きの将なるも、敗る可からざるなり。制無きの兵は、能有るの将なるも、勝つ可からざるなり。
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『墨子』尚同中故に古者、聖王は唯だ壹に尚同を以て正長と為す。是れ上下、請謁して通を為す。上に隠事遺利有れば、下、得て之を利し、下に蓄怨積害有れば、上、得て之を除く。是を以て數千萬里の外に善を為す者有れば、其の室人未だ徧く知らず、鄉里未だ徧く聞かざるに、天子、得て之を賞す。數千萬里の外に不善を為す者有れば、其の室人未だ徧く知らず、郷里未だ徧く聞かざるに、天子、得て之を罰す。是を以て天下の人を舉げて皆な恐懼振動惕慄して、敢えて淫暴を為さず、曰く、「天子の視聴や神なり」と。先王の言に曰く、「神に非ざるなり。夫れ唯だ能く人の耳目をして己が視聴を助けしめ、人の吻をして己が言談を助けしめ、人の心をして己が思慮を助けしめ、人の股肱をして己が動作を助けしむればなり」と。之を視聴するを助くる者衆ければ、則ち其の聞見する所の者は逺し。之を言談するを助くる者衆ければ、則ち其の徳音の撫循する所の者は博し。之を思慮するを助くる者衆ければ、則ち其の謀慮は速やかに得らる。之を動作するを助くる者衆ければ、則ち其の事を舉ぐること速やかに成る。