驢鞍橋 / 卷下
一日、靈氣吊の次、語て曰く、此の前、去る和尙の處に至りければ、彼の和尙の曰く、當所にて去る者の家より火飛出て、三昧に行て塚もゆること有り、塚は前の女房の塚也その男中々迷惑し、私に賴むに仍て、隨分吊へとも火消えすと語り給ふ。我聞くと早く手もなく消えたりと云ふ。和尙故を尋ね給ふ。我云ふは、先つ向ふの亡者を吊では消ゆべからす。前の女房の火に非す、後の連相の火也。その子細は、亭主今ずひと間おもはしからさるに仍て、只もの元の女のことを云はんす、爰に於て、今の女の胸もゆる也。大畧此の位なるべし。然る間、此の男に道理を云ひ聞かせ、比興者執著の深き奴哉と、ぐつと耻かしめ、扨て今の女房に中々其方か道理じやと、これに足をさせ、男か心を翻し、和睦させば、忽ち火消えんと云へは、和尙大に悅び、頓て如是覺ありしかば、其の儘火消えたり。加樣のことも、醫者の脉を好く見て藥を與るか如し。めたと吊ふては、功德有るべからすと也。
新字:一日、霊気吊の次、語て曰く、此の前、去る和尚の処に至りければ、彼の和尚の曰く、当所にて去る者の家より火飛出て、三昧に行て塚もゆること有り、塚は前の女房の塚也その男中々迷惑し、私に頼むに仍て、随分吊へとも火消えすと語り給ふ。我聞くと早く手もなく消えたりと云ふ。和尚故を尋ね給ふ。我云ふは、先つ向ふの亡者を吊では消ゆべからす。前の女房の火に非す、後の連相の火也。その子細は、亭主今ずひと間おもはしからさるに仍て、只もの元の女のことを云はんす、爰に於て、今の女の胸もゆる也。大略此の位なるべし。然る間、此の男に道理を云ひ聞かせ、比興者執著の深き奴哉と、ぐつと耻かしめ、扨て今の女房に中々其方か道理じやと、これに足をさせ、男か心を翻し、和睦させば、忽ち火消えんと云へは、和尚大に悅び、頓て如是覚ありしかば、其の儘火消えたり。加様のことも、医者の脉を好く見て薬を与るか如し。めたと吊ふては、功徳有るべからすと也。
書き下し
一日、霊気吊の次、語て曰く、此の前、去る和尚の処に至りければ、彼の和尚の曰く、当所にて去る者の家より火飛出て、三昧に行て塚もゆること有り、塚は前の女房の塚也その男中々迷惑し、私に頼むに仍て、随分吊へとも火消えすと語り給ふ。我聞くと早く手もなく消えたりと云ふ。和尚故を尋ね給ふ。我云ふは、先つ向ふの亡者を吊では消ゆべからす。前の女房の火に非す、後の連相の火也。その子細は、亭主今ずひと間おもはしからさるに仍て、只もの元の女のことを云はんす、爰に於て、今の女の胸もゆる也。大略此の位なるべし。然る間、此の男に道理を云ひ聞かせ、比興者執著の深き奴哉と、ぐつと耻かしめ、扨て今の女房に中々其方か道理じやと、これに足をさせ、男か心を翻し、和睦させば、忽ち火消えんと云へは、和尚大に悅び、頓て如是覚ありしかば、其の儘火消えたり。加様のことも、医者の脉を好く見て薬を与るか如し。めたと吊ふては、功徳有るべからすと也。
現代語訳
ある日、霊気を払う弔いのついでに語って言われた。以前、ある和尚のところに行ったところ、その和尚が言われた。この土地で、ある者の家から火が飛び出して墓地に行き、塚が燃えることがある。塚は前の女房の塚である。その夫はずいぶん困って、私に頼んできたので、随分弔ったけれども火は消えない、と語られた。私は聞くやいなや、造作もなく消えるでしょう、と言った。和尚はわけを尋ねられた。私は言った。まず向こうの亡者を弔っては消えないでしょう。前の女房の火ではなく、後の連れ合いの火です。そのわけは、亭主が今の妻を少しも良く思っていないので、何かにつけて元の女のことを言うのでしょう。そこで今の女の胸が燃えるのです。おおよそこういうことでしょう。だから、この男に道理を言い聞かせ、卑怯者め、執着の深いやつだ、とぐっと恥をかかせ、そのうえで今の女房に、まったくあなたの言い分がもっともだ、と言って肩を持ち、男の心を翻させて和睦させれば、たちまち火は消えるでしょう、と言うと、和尚は大いに喜び、すぐにそのように計らったところ、そのまま火は消えた。このようなことも、医者が脈をよく見て薬を与えるようなものである。むやみに弔っても、功徳はないだろう、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
尚書・秦誓人の技有るや、己に之有るが若くし、人の彥聖なるや、其の心之を好む。
-
人物志・釋爭前に在る者は然れば之を害せられ、功有る者は人之を毀り、毀敗する者は人之を幸とす。
-
史記 司馬穰苴列伝已にして大夫鮑氏・高・国の属之を害み、景公に譖る。景公、穰苴を退く。苴、疾を発して死す。田乞・田豹の徒、此れに由り高・国等を怨む。其の後、田常の簡公を殺すに及び、尽く高子・国子の族を滅ぼす。常の曾孫和に至り、因りて自立して斉の威王と為り、兵を用ゐ威を行ふに、大いに穰苴の法に放ひ、而して諸侯斉に朝す。
-
史記 孫子呉起列伝孫武既に死し、後百余歳して孫臏有り。臏は阿・鄄の間に生まる。臏も亦た孫武の後世の子孫なり。孫臏嘗て龐涓と倶に兵法を学ぶ。龐涓既に魏に事へ、恵王の将軍と為るを得たり。而れども自ら以為らく、能は孫臏に及ばず、と。乃ち陰かに孫臏を召さしむ。臏至り、龐涓、其の己より賢なるを恐れ、之を疾む。則ち法刑を以て其の両足を断ちて之を黥し、隠れて見る勿らんことを欲す。
-
史記 老子韓非列伝人或いは其の書を伝へて秦に至る。秦王、孤憤・五蠹の書を見て曰く、「嗟乎、寡人此の人を見、之と游ぶを得ば、死すとも恨みじ」と。李斯曰く、「此れ韓非の著す所の書なり」と。秦因りて急に韓を攻む。韓王、始め非を用ゐず、急なるに及び、乃ち非を遣り秦に使ひせしむ。秦王之を悦ぶも、未だ信用せず。李斯・姚賈之を害み、之を毀りて曰く、「韓非は韓の諸公子なり。今王、諸侯を并せんと欲するに、非は終に韓の為にして秦の為にせず、此れ人の情なり。今王用ゐずして久しく留めて之を帰すは、此れ自ら患ひを遺すなり。過法を以て之を誅するに如かず」と。秦王、以て然りと為し、吏に下して非を治む。李斯、人をして非に薬を遺らしめ、自殺せしむ。韓非、自ら陳べんと欲するも、見ゆるを得ず。秦王後に之を悔い、人をして之を赦さしむるに、非已に死せり。申子・韓子皆書を著し、後世に伝はり、学ぶ者多く有り。余独り韓子の説難を為りて自ら脱する能はざりしを悲しむのみ。
-
『甲陽軍鑑』品第四十三第三に忠節忠功のよき武士をそねむ人は我主君に忠節忠功の奉公なき故、よき武士をそねみ倒したがるは、いくさに大毒の人なり、ここをもつて陣の時、此人をきらふなり、第四に忠節忠功の人を嫌ふ者は、武士の家職を不存未練の侍故其陣をいやがり、敵の事計りを大にほめて、味方のよわる様に申ものなり、ここをもつて此人をきらふなり、