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驢鞍橋 / 卷上

一日示して曰く、此身元より有るにあらず、始めは一滴にして次第に大に成り、人間の体と成る。元來是れ惡業煩惱のかたまりにて、不淨なる物也。目汁鼻汁大小便、一つとして淸き事なし。扨その中に包み來るみあげは何なれば、先づ菩提心をも持ち來らす、慈悲心をも持ち來らす、只惡い愛い怪い食いと三毒を根本として、四苦八苦十惡五逆八萬四千の惡業煩惱計りを包み來りて、一生此念に責められ、永劫惡趣に輪廻し、大苦を受くる事口惜きにあらずや。深く此道理を信して此腐れ肉に惑はさるべからず。此身を思ふ念をさへ離れば、安樂なるべし。喩へば人來りて頸を乞はんに、指出してなにともなく取らするほどに至らば、何の苦みかあらんや。亦何の煩惱か碍らんやと也。

新字:一日示して曰く、此身元より有るにあらず、始めは一滴にして次第に大に成り、人間の体と成る。元来是れ悪業煩悩のかたまりにて、不浄なる物也。目汁鼻汁大小便、一つとして清き事なし。扨その中に包み来るみあげは何なれば、先づ菩提心をも持ち来らす、慈悲心をも持ち来らす、只悪い愛い怪い食いと三毒を根本として、四苦八苦十悪五逆八万四千の悪業煩悩計りを包み来りて、一生此念に責められ、永劫悪趣に輪廻し、大苦を受くる事口惜きにあらずや。深く此道理を信して此腐れ肉に惑はさるべからず。此身を思ふ念をさへ離れば、安楽なるべし。喩へば人来りて頸を乞はんに、指出してなにともなく取らするほどに至らば、何の苦みかあらんや。亦何の煩悩か碍らんやと也。

書き下し

一日示して曰く、此身元より有るにあらず、始めは一滴にして次第に大に成り、人間の体と成る。元来是れ悪業煩悩のかたまりにて、不浄なる物也。目汁鼻汁大小便、一つとして清き事なし。扨その中に包み来るみあげは何なれば、先づ菩提心をも持ち来らす、慈悲心をも持ち来らす、只悪い愛い怪い食いと三毒を根本として、四苦八苦十悪五逆八万四千の悪業煩悩計りを包み来りて、一生此念に責められ、永劫悪趣に輪廻し、大苦を受くる事口惜きにあらずや。深く此道理を信して此腐れ肉に惑はさるべからず。此身を思ふ念をさへ離れば、安楽なるべし。喩へば人来りて頸を乞はんに、指出してなにともなく取らするほどに至らば、何の苦みかあらんや。亦何の煩悩か碍らんやと也。

現代語訳

ある日示して言われた。この身はもともとあったものではない。初めは一滴で、次第に大きくなって人間の体となる。もとよりこれは悪業煩悩の塊で、不浄なものである。目やに、鼻水、大小便、一つとして清らかなものはない。さて、その中に包んできた土産は何かといえば、まず菩提心も持ってこず、慈悲心も持ってこず、ただ憎い、可愛い、欲しいという三毒を根本として、四苦八苦、十悪五逆、八万四千の悪業煩悩ばかりを包んできて、一生この思いに責められ、永劫悪い世界に輪廻して大きな苦しみを受けるのは、口惜しいことではないか。深くこの道理を信じて、この腐った肉に惑わされてはならない。この身を思う思いさえ離れれば、安楽であろう。たとえば人が来て首を乞うたとき、差し出して何ともなく取らせるほどになれば、何の苦しみがあろうか。また何の煩悩に妨げられようか、と。

解説

体を悪業煩悩の塊、不浄なものと見る不浄観を説く条である。生まれてくるときに菩提心も慈悲心も持ってこず、欲や怒りばかりを包んできた、という表現は厳しい。だが目的は自己嫌悪ではなく、この身への執着を離れれば安楽になる、という点にある。首を求められても平然と差し出せるほどになれば、何も恐れるものはない。自分の体や外見、生命への過度なとらわれが、どれほど苦しみを生んでいるかを考えさせる。

この章句が説くこと

不浄観執着身体三毒安楽煩悩

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