驢鞍橋 / 卷下
又周防殿曰く、正三の樣なる人を、所々に多く置き申し度し。然らは何としても諸人道に入り、非分の公事沙汰を作す者なくてよかるへき也。師曰く、さては京都の公事を聞き給ふを大儀に思召すな。何の苦もなきこと也。道理次第につゝつとさばき給ふべし。ひよつと出でた分別に餘りかはらぬ者也。只もの分別しかへせば、彼の程明道か堂の柱に成る者也。程明道と云ふ賢人、或時、堂に入て柱の數をかずへて、なん本と云つて、又かずべければ其數ちかへり。いかゝと思ふて、又かずへけれは又ちがへり、疑はしく思ふて、人を呼んて、柱について一一かずへければ、明道か初めかすべたる數ちかはさりけるなり。
新字:又周防殿曰く、正三の様なる人を、所々に多く置き申し度し。然らは何としても諸人道に入り、非分の公事沙汰を作す者なくてよかるへき也。師曰く、さては京都の公事を聞き給ふを大儀に思召すな。何の苦もなきこと也。道理次第につゝつとさばき給ふべし。ひよつと出でた分別に余りかはらぬ者也。只もの分別しかへせば、彼の程明道か堂の柱に成る者也。程明道と云ふ賢人、或時、堂に入て柱の数をかずへて、なん本と云つて、又かずべければ其数ちかへり。いかゝと思ふて、又かずへけれは又ちがへり、疑はしく思ふて、人を呼んて、柱について一一かずへければ、明道か初めかすべたる数ちかはさりけるなり。
書き下し
又周防殿曰く、正三の様なる人を、所々に多く置き申し度し。然らは何としても諸人道に入り、非分の公事沙汰を作す者なくてよかるへき也。師曰く、さては京都の公事を聞き給ふを大儀に思召すな。何の苦もなきこと也。道理次第につゝつとさばき給ふべし。ひよつと出でた分別に余りかはらぬ者也。只もの分別しかへせば、彼の程明道か堂の柱に成る者也。程明道と云ふ賢人、或時、堂に入て柱の数をかずへて、なん本と云つて、又かずべければ其数ちかへり。いかゝと思ふて、又かずへけれは又ちがへり、疑はしく思ふて、人を呼んて、柱について一一かずへければ、明道か初めかすべたる数ちかはさりけるなり。
現代語訳
また周防殿が言われた。正三のような人を、所々に多く置きたいものだ。そうすれば、何としても人々が道に入り、筋違いの訴訟を起こす者がいなくてよいだろう。師は言われた。さては京都の訴訟を聞かれるのを、大儀に思し召すな。何の苦もないことである。道理に従って、つっつと裁かれるがよい。ひょっと出た分別と、あまり変わらないものである。ただあれこれ分別し返せば、あの程明道の堂の柱になるものだ。程明道という賢人が、ある時、堂に入って柱の数を数えて、何本と言い、また数えると、その数が違った。どうしたことかと思って、また数えると、また違った。疑わしく思って、人を呼んで、柱について一本一本数えさせたところ、明道が初めに数えた数と違わなかったのである。
解説
この章句が説くこと
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荀子・不苟篇欲悪取舎の権なり。其の欲す可きを見ては、則ち必ず前後に其の悪む可き者を慮る。其の利す可きを見ては、則ち必ず前後に其の害す可き者を慮る。而して兼ねて之を権り、孰々之を計り、然る後に其の欲悪取舎を定む。是くの如くんば則ち常に失陥せず。凡そ人の患いは、偏傷せらるるなり。其の欲す可きを見ては、則ち其の悪む可き者を慮らず。其の利す可きを見ては、則ち其の害す可き者を顧みず。是を以て動けば則ち必ず陥り、為せば則ち必ず辱めらる。是れ偏傷の患いなり。
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十七条憲法 第十七条夫(そ)れ事(こと)は独断(どくだん)すべからず。必ず衆(しゅう)と与(とも)に宜(よろ)しく論(ろん)ずべし。少事(しょうじ)は是(こ)れ軽(かろ)し、必ずしも衆(しゅう)とすべからず。唯(た)だ大事(だいじ)を論ずるに逮(およ)びては、若(も)し失(あやまち)有らんことを疑(うた)う。故(ゆえ)に衆と相(あい)辨(わきま)うれば、辞(こと)則(すなわ)ち理(ことわり)を得(う)。
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