驢鞍橋 / 卷下
一日、或る人來つて、自身の爲めに逆修吊を乞ふ。師聞て云く、皆我法を聞き受けめされぬに仍て、左樣のことを求めらるゝ也。我御坊主に非さる故に、逆修に人を吊ふこと知らぬと也。良有りて云く、そても無い心入哉。我逆修と云ふは、朝から晩迄、きつと心を守て一切に負けぬこと也、如是勤むるを逆修とす。是れは其方に我遺言に致すそと也。
新字:一日、或る人来つて、自身の為めに逆修吊を乞ふ。師聞て云く、皆我法を聞き受けめされぬに仍て、左様のことを求めらるゝ也。我御坊主に非さる故に、逆修に人を吊ふこと知らぬと也。良有りて云く、そても無い心入哉。我逆修と云ふは、朝から晩迄、きつと心を守て一切に負けぬこと也、如是勤むるを逆修とす。是れは其方に我遺言に致すそと也。
書き下し
一日、或る人来つて、自身の為めに逆修吊を乞ふ。師聞て云く、皆我法を聞き受けめされぬに仍て、左様のことを求めらるゝ也。我御坊主に非さる故に、逆修に人を吊ふこと知らぬと也。良有りて云く、そても無い心入哉。我逆修と云ふは、朝から晩迄、きつと心を守て一切に負けぬこと也、如是勤むるを逆修とす。是れは其方に我遺言に致すそと也。
現代語訳
ある日、ある人が来て、自分のために逆修の弔い(生前供養)を願った。師は聞いて言われた。みな私の法を聞き受けておられないので、そのようなことを求められるのである。私は御坊主ではないので、逆修で人を弔うことは知らない、と。しばらくして言われた。とんでもない心入れだな。私の逆修というのは、朝から晩まで、きっと心を守って、何事にも負けないことである。このように勤めるのを逆修とする。これはあなたへの私の遺言にしようぞ、と。
解説
生きているうちに自分の死後の供養をしてほしい、と頼む人に、正三は、自分は坊主ではないから、そういう弔いは知らない、と断る。そして、自分の言う生前供養とは、朝から晩まで心を守り、何事にも負けないことだ、これを遺言として授ける、と。死後の安心を儀式で買おうとする心を退け、今日一日をしっかり生きることこそが最高の備えだ、と示す。終活を考える人にも響く言葉である。
この章句が説くこと
逆修生前供養遺言今日を生きる備え心を守る
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孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
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尚書・說命中惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
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