師導古典を学びたいすべての人に

驢鞍橋 / 卷下

巳の七月十日曉云はく、佛像程に仕付て叶はす、我此の前は、强弓を引張つた如く有りけるか、今は左樣になし。然れともたるむ筈なし。少し熟したるかとも思ふ也。又曰く、夢中ともいきをつくほどに大事に成り居れとも、まだあまのじやくか出る也。されどももはやことはせず、夫れは隨分仕付て、面上はさせん也。强く守ていやな物哉いやな物哉もきつと睨付て居れども、何として此の体たが我物に成て、隙明かす、是れも普化の境界が乘りたて、修行やうたらぬと云ふことを知りたると也。

新字:巳の七月十日暁云はく、仏像程に仕付て叶はす、我此の前は、强弓を引張つた如く有りけるか、今は左様になし。然れともたるむ筈なし。少し熟したるかとも思ふ也。又曰く、夢中ともいきをつくほどに大事に成り居れとも、まだあまのじやくか出る也。されどももはやことはせず、夫れは随分仕付て、面上はさせん也。强く守ていやな物哉いやな物哉もきつと睨付て居れども、何として此の体たが我物に成て、隙明かす、是れも普化の境界が乗りたて、修行やうたらぬと云ふことを知りたると也。

書き下し

巳の七月十日暁云はく、仏像程に仕付て叶はす、我此の前は、强弓を引張つた如く有りけるか、今は左様になし。然れともたるむ筈なし。少し熟したるかとも思ふ也。又曰く、夢中ともいきをつくほどに大事に成り居れとも、まだあまのじやくか出る也。されどももはやことはせず、夫れは随分仕付て、面上はさせん也。强く守ていやな物哉いやな物哉もきつと睨付て居れども、何として此の体たが我物に成て、隙明かす、是れも普化の境界が乗りたて、修行やうたらぬと云ふことを知りたると也。

現代語訳

巳の年七月十日の明け方に言われた。仏像ほどに身に仕付けなくてはかなわない。私は以前、強弓を引き張ったようであったが、今はそのようではない。けれども、たるむはずはない。少し熟したかとも思う。また言われた。夢の中でも息をつくほどに大事になっているが、まだ天邪鬼が出てくる。けれども、もう仕方がない。それは十分に仕付けて、表には出させないのである。強く守って、嫌なものだな、嫌なものだな、ときっと睨みつけているが、どうしてもこの体が自分のものになって、暇が明かない。これも普化の境界が乗ったので、修行はやむことがないということを知ったのである、と。

解説

かつては強弓を引き絞ったように張り詰めていたが、今はそうではない、しかしたるんではいない、少し熟したのだろう、と晩年の正三は言う。夢の中でも修行が続いているのに、まだ天邪鬼のようなひねくれた心が出てくる。それを抑えて表に出さず、嫌な奴だと睨みつけているが、この身体への執着はなお消えない、と。修行に終わりはないと知ったのも普化の境地のおかげだ、と結ぶ。熟してもなお自分を見張り続ける姿である。

この章句が説くこと

熟す天邪鬼自己監視終わりなき修行普化晩年

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる