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驢鞍橋 / 卷下

承應二年巳正月、師去る禪院に至る、折節萬歲來る。住持曰く、もはや幾人か來れ只還るべし。萬歲重ね重ね目出度祝ひ申さんと云ふ。住持許さず。師曰く、只舞はせめされよ。あれはあれを以て世を渡る也。總而娑婆と云ふ物は、互に助合て過こす也、我も娑婆の影にて過きなから、人をば過こすまいと云ふは非義也。其の上一人して扶持するごとこそならすとも、手の內を以て、世人と寄合て養ふことは易きこと也、我も十錢を出すべしとありければ、住持大に感して、萬歲か舞を許されたり。

新字:承応二年巳正月、師去る禅院に至る、折節万歳来る。住持曰く、もはや幾人か来れ只還るべし。万歳重ね重ね目出度祝ひ申さんと云ふ。住持許さず。師曰く、只舞はせめされよ。あれはあれを以て世を渡る也。総而娑婆と云ふ物は、互に助合て過こす也、我も娑婆の影にて過きなから、人をば過こすまいと云ふは非義也。其の上一人して扶持するごとこそならすとも、手の内を以て、世人と寄合て養ふことは易きこと也、我も十銭を出すべしとありければ、住持大に感して、万歳か舞を許されたり。

書き下し

承応二年巳正月、師去る禅院に至る、折節万歳来る。住持曰く、もはや幾人か来れ只還るべし。万歳重ね重ね目出度祝ひ申さんと云ふ。住持許さず。師曰く、只舞はせめされよ。あれはあれを以て世を渡る也。総而娑婆と云ふ物は、互に助合て過こす也、我も娑婆の影にて過きなから、人をば過こすまいと云ふは非義也。其の上一人して扶持するごとこそならすとも、手の内を以て、世人と寄合て養ふことは易きこと也、我も十銭を出すべしとありければ、住持大に感して、万歳か舞を許されたり。

現代語訳

承応二年(一六五三)正月、師がある禅院に行かれたところ、ちょうど万歳(門付け芸人)が来た。住職は言った。もう何人も来たから、ただ帰れ。万歳は、重ね重ねめでたくお祝い申し上げたい、と言う。住職は許さない。師は言われた。ただ舞わせてやりなさい。あの者はあれで世を渡っているのである。おおよそ娑婆というものは、互いに助け合って過ごすものだ。私も娑婆のおかげで過ごしていながら、人を過ごさせまいとするのは道にはずれている。そのうえ、一人で扶持することはできなくても、手の内の心づけで、世の人と寄り合って養うことは易しいことだ。私も十銭を出そう、と言われたので、住職は大いに感じ入って、万歳が舞うことを許された。

解説

下巻は、正月に寺を訪れた門付けの芸人を追い返そうとする住職を、正三がたしなめる場面から始まる。あの者はあれで生計を立てている、世の中は互いに助け合って暮らすもので、自分も世間のおかげで生きているのに人の暮らしを妨げるのは筋が違う、と。一人で養えなくても、皆で少しずつ出し合えば支えられる。自分も十銭出そう、と。社会の相互扶助を、ささやかな施しの実践で示した、温かい一場面である。

この章句が説くこと

相互扶助施し生計万歳社会思いやり

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