驢鞍橋 / 卷上
夜話に曰く、古の祖師達にも、修行熟せるは少しと見えたり。大方小見解を是とし、經文語錄を以て法語を書き、敎化抔して語錄等を殘されたると思ふ也。なければこそ强く心を修した位を、誰でも書き殘したる人なし。皆心安く隙を明けて成らぬと云ふ事を云ひ置きたる人なし。我は末世に殘すならば、何とも成らぬ物ぢやと云ふ事を書付けて殘すへしと也。
新字:夜話に曰く、古の祖師達にも、修行熟せるは少しと見えたり。大方小見解を是とし、経文語録を以て法語を書き、教化抔して語録等を残されたると思ふ也。なければこそ强く心を修した位を、誰でも書き残したる人なし。皆心安く隙を明けて成らぬと云ふ事を云ひ置きたる人なし。我は末世に残すならば、何とも成らぬ物ぢやと云ふ事を書付けて残すへしと也。
書き下し
夜話に曰く、古の祖師達にも、修行熟せるは少しと見えたり。大方小見解を是とし、経文語録を以て法語を書き、教化抔して語録等を残されたると思ふ也。なければこそ强く心を修した位を、誰でも書き残したる人なし。皆心安く隙を明けて成らぬと云ふ事を云ひ置きたる人なし。我は末世に残すならば、何とも成らぬ物ぢやと云ふ事を書付けて残すへしと也。
現代語訳
夜話で言われた。昔の祖師たちにも、修行が熟した人は少ないと見える。たいていは小さな見解をよしとし、経文や語録によって法語を書き、教化などをして語録などを残されたのだと思う。熟していないからこそ、強く心を修めた境地を書き残した人は誰もいない。みな気楽に構えて、なかなかできないのだということを言い残した人がいない。私が末世に残すならば、どうにもならないものだ、ということを書きつけて残そう、と。
解説
歴代の祖師の語録について、正三は辛辣な評価を下す。多くは小さな見識を経文で飾って書いたもので、本当に心を修め切った境地を書いた人はいない。そして、修行とはなかなか成らないものだと正直に言い残した人もいない、と。自分が残すなら、どうにもならないものだと書く、と言う。成功談ばかりが語られる中で、道の困難さを正直に伝えることこそ、後に続く人の本当の助けになるという考えである。
この章句が説くこと
正直語録困難後進実感記録
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