驢鞍橋 / 卷下
又曰く、我山居を遂けることを、此の前は憂く思ひけるか。今は仕合と思ふ也其子細は、その儘居らば、覺えす能き道者に成り居て、非を知るべからす。始終世間に在るに仍て、足らさることを知り、凡夫にてある也。良有て曰く、されども好く成ても居られまじきこと一つ有り、我元より死を忘れぬ性也。どこにありても油斷せられまじ。人に勝れて只死ぬかいやな性也。是れに仍て果眼には用ゐたる也。實に臆病故にこそ、是れほど迄もこね來ると也。
新字:又曰く、我山居を遂けることを、此の前は憂く思ひけるか。今は仕合と思ふ也其子細は、その儘居らば、覚えす能き道者に成り居て、非を知るべからす。始終世間に在るに仍て、足らさることを知り、凡夫にてある也。良有て曰く、されども好く成ても居られまじきこと一つ有り、我元より死を忘れぬ性也。どこにありても油断せられまじ。人に勝れて只死ぬかいやな性也。是れに仍て果眼には用ゐたる也。実に臆病故にこそ、是れほど迄もこね来ると也。
書き下し
又曰く、我山居を遂けることを、此の前は憂く思ひけるか。今は仕合と思ふ也其子細は、その儘居らば、覚えす能き道者に成り居て、非を知るべからす。始終世間に在るに仍て、足らさることを知り、凡夫にてある也。良有て曰く、されども好く成ても居られまじきこと一つ有り、我元より死を忘れぬ性也。どこにありても油断せられまじ。人に勝れて只死ぬかいやな性也。是れに仍て果眼には用ゐたる也。実に臆病故にこそ、是れほど迄もこね来ると也。
現代語訳
また言われた。私は山居を遂げられなかったことを、以前は残念に思っていたが、今は幸せだと思う。そのわけは、そのまま山にいたら、知らず知らず良い道者になったつもりでいて、自分の非を知ることはなかっただろう。始終世間にいたおかげで、足りないことを知り、凡夫でいるのである。しばらくして言われた。けれども、良くなったつもりでいられないことが一つある。私はもとより死を忘れない性分である。どこにいても油断はできないだろう。人にすぐれて、ただ死ぬのが嫌な性分である。これによって果たし眼で用いてきたのである。まことに臆病だからこそ、これほどまでに練ってきたのだ、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』耕柱子墨子曰く、「世俗の君子は、貧しくして之を富めりと謂えば則ち怒り、義無くして之を義有りと謂えば則ち喜ぶ。豈に悖らざらんや」と。
-
『韓非子』觀行第二十四古の人、目は自ら見るに短なり、故に鏡を以て面を觀、智は自ら知るに短なり、故に道を以て己を正す。
-
『韓非子』老第二十一知の難きは、人を見るに在らず、自ら見るに在り。故に曰く、「自ら見るを之れ明と謂う。」
-
老子・第33章人を知る者は智、自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し。足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り。其の所を失わざる者は久し、死して而も亡びざる者は寿し。
-
葉隠・聞書第二少し眼(め)見え候者は、我が長(た)けを知り、非を知りたりと思ふゆゑ、尚々(なおなお)自慢になるものなり。実(じつ)に我が長け、我が非を知る事成り難(がた)きものの由。海音和尚(かいおんおしょう)御話(おはなし)なり。
-
論語・里仁篇子曰わく、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。