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驢鞍橋 / 卷下

一日、世の望深き侍來るに語て曰く、强く修し行する人は無きが、我物語を聞く人は、頓て大名には成る也。爰にある若き人、親類衆に引れて、ふせうふせうそうに坐に連り、我物語を聞かる、何の變も無さそうに思ひけるに、此の頃、その親類衆、彼の人に向て、佛道を用て自由を得んか、又十萬石の主と成らんと問ひれければ、彼の人聞て、夫れほと盲味の者に思召すか、佛道を少しも得ば、夫れは何か十萬や二十萬に代ゆると申すことあらんやと、誓文を以て云ひたると也。等閑に聞く人も、是れほどの德は取る也。況や志有て聞かは、大に德に至ること也。其方抔も、少し志付きたらば、其儘大名に成り、娑婆の責を免れめされんすと也。

新字:一日、世の望深き侍来るに語て曰く、强く修し行する人は無きが、我物語を聞く人は、頓て大名には成る也。爰にある若き人、親類衆に引れて、ふせうふせうそうに坐に連り、我物語を聞かる、何の変も無さそうに思ひけるに、此の頃、その親類衆、彼の人に向て、仏道を用て自由を得んか、又十万石の主と成らんと問ひれければ、彼の人聞て、夫れほと盲味の者に思召すか、仏道を少しも得ば、夫れは何か十万や二十万に代ゆると申すことあらんやと、誓文を以て云ひたると也。等閑に聞く人も、是れほどの徳は取る也。況や志有て聞かは、大に徳に至ること也。其方抔も、少し志付きたらば、其儘大名に成り、娑婆の責を免れめされんすと也。

書き下し

一日、世の望深き侍来るに語て曰く、强く修し行する人は無きが、我物語を聞く人は、頓て大名には成る也。爰にある若き人、親類衆に引れて、ふせうふせうそうに坐に連り、我物語を聞かる、何の変も無さそうに思ひけるに、此の頃、その親類衆、彼の人に向て、仏道を用て自由を得んか、又十万石の主と成らんと問ひれければ、彼の人聞て、夫れほと盲味の者に思召すか、仏道を少しも得ば、夫れは何か十万や二十万に代ゆると申すことあらんやと、誓文を以て云ひたると也。等閑に聞く人も、是れほどの徳は取る也。況や志有て聞かは、大に徳に至ること也。其方抔も、少し志付きたらば、其儘大名に成り、娑婆の責を免れめされんすと也。

現代語訳

ある日、世の望みの深い侍が来たので、語って言われた。強く修行する人はいないが、私の話を聞く人は、やがて大名にはなるのである。ここに、ある若い人が、親類衆に引かれて、不承不承そうに座に連なり、私の話を聞かれた。何の変わりもなさそうに思っていたが、近ごろ、その親類衆がその人に向かって、仏道を用いて自由を得たいか、それとも十万石の主になりたいか、と尋ねたところ、その人は聞いて、それほど愚かな者だとお思いですか、仏道を少しでも得たなら、それを十万や二十万に代えるということがありましょうか、と誓いを立てて言ったという。いいかげんに聞く人でも、これほどの徳は取るのである。まして志があって聞けば、大いに徳に至ることである。あなたなども少し志がつけば、そのまま大名になり、娑婆の責めを免れられるだろう、と。

解説

出世欲の強い侍に、正三は、自分の話を聞けば大名になれる、と言う。親類に連れられて嫌々話を聞いた若者が、後に、仏道を得るのと十万石の大名になるのとどちらがよいか、と問われ、仏道を少しでも得たら二十万石とも代えられない、と答えた、と。ここで言う大名とは、世の責めから自由になる心の豊かさのことである。出世を望む相手の言葉に合わせて、本当の豊かさへと心を向け直させる、巧みな語り方である。

この章句が説くこと

出世豊かさ大名方便価値観

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