驢鞍橋 / 卷下
我もえ受けぬ人には、謠を以て授けんずよと云つて、不圖八島のきりを打上て歌ひ給ふ。その座に去る俗士有り、ひしと其機移り、心じりじりと勇しく成り、二三日か間、づんと機强く成て、一切に負けす、起居はづみて有り。師後に之を聞て曰く、慥に勇猛心移りたる也。尤も頓てさめぬべし。常住此の機に成ることは、大に功を盡さずんば有るべからずと也。
新字:我もえ受けぬ人には、謡を以て授けんずよと云つて、不図八島のきりを打上て歌ひ給ふ。その座に去る俗士有り、ひしと其機移り、心じりじりと勇しく成り、二三日か間、づんと機强く成て、一切に負けす、起居はづみて有り。師後に之を聞て曰く、慥に勇猛心移りたる也。尤も頓てさめぬべし。常住此の機に成ることは、大に功を尽さずんば有るべからずと也。
書き下し
我もえ受けぬ人には、謡を以て授けんずよと云つて、不図八島のきりを打上て歌ひ給ふ。その座に去る俗士有り、ひしと其機移り、心じりじりと勇しく成り、二三日か間、づんと機强く成て、一切に負けす、起居はづみて有り。師後に之を聞て曰く、慥に勇猛心移りたる也。尤も頓てさめぬべし。常住此の機に成ることは、大に功を尽さずんば有るべからずと也。
現代語訳
私も、受け止められない人には謡で授けようよ、と言って、ふと『八島』のキリを歌い上げられた。その座にある俗人がいて、ひしとその気迫が移り、心がじりじりと勇ましくなり、二、三日の間、ずんと気迫が強くなって、何事にも負けず、立ち居振る舞いが弾んでいた。師は後にこれを聞いて言われた。確かに勇猛心が移ったのである。もっとも、やがて醒めるだろう。常にこの気迫でいることは、大いに功を尽くさなければ、できるものではない、と。
解説
正三がふと謡曲八島の結びを歌うと、その場にいた俗人に気迫が移り、二、三日は何事にも負けない勇ましい心で過ごした。正三は、確かに勇猛心が移ったが、やがて醒めるだろう、いつもこの状態でいるには大いに努力を積まなければならない、と言う。講演やセミナーで一時的に高揚しても、それはすぐに冷める。その高揚を日常の状態にするには、長い積み重ねが必要だ、という冷静な指摘である。
この章句が説くこと
謡八島勇猛心一時の高揚定着積み重ね
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下一日、去る侍来て曰く、某無理に真実を造り起さんと致しければ、心沈で機へる故に、此比は真実仏法を打捨て、機を調子に懸りて用ひ、謡抔謡ひ、舞抔舞ふて、少し飛走り仕りければ、不図機勇ましく成り、抜けぬ位を覚え候と云ふ。師見て曰く、扨ても能きこと哉、誠に見懸迄軽くなりめされたり、も早や捨身の位を守るべしと也。折節尾州大野船頭両人来り其坐にあり、師便ち彼等に向て曰く、其方達も此の機を受けすして叶はず。此の機だに得ば、何たる大難悪風に逢ふても、少しも動せずして自由自在に乗り得る物也。皆抜けて居るに仍て、加様の時あわてゝ、むだ死にして苦海に沈む者也。
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『驢鞍橋』卷下夜の次曰く、我常に謡を坐禅の機に用ゐよと云ふこと、何れも実にもと思はるゝや。一僧曰く、用ゐることを得ず、分別には好く肯ふと云ふ。師曰く、何には因らぬ、なるほど機を强く、ぬんと用ゐて、娑婆の念を去り習ふ外なし。何としても心娑婆に負けて居るもの也。能く用心すべしと也。
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『驢鞍橋』卷上去る暁衆に向て曰く、傍に居れば機移る物也、何れも機移るや、機移ると云ふは勇猛の機一つ也。何と二王不動の像を見ても機うつらざるや、定めて推量には見知り得、移り度と思ふ心は有らんずと也。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る人来り曰く、此の頃無理に真実を作り起さんと仕り、様々仏法分別致しければ、胸苦く罷り成ると云ふ。師聞て曰く仏法世法一切を吐出して、只口に任せて謡を歌ひめされよ。如是して機を養はは、頓て其病は抜けんずと也。彼の人、教の如く用ひければ、忽ち本復する也
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『驢鞍橋』卷下一日、示して曰く、結句俗方や女人には、勇猛の機移りたる人有りとも、出家に此の機移りたる人無し。是非なきこと也。何としても、出家に移らねば、衆生の為にならず、又末世に残されす、御坊主達勢を出してくれめされよと也。
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『驢鞍橋』卷上一日語て曰く、我は言句を聞くに、是れは理致にて分かる事、是れは意にて知る、言句によらぬ事ぢやと云ふ事が、聞きと早や胸にて分かる也。各々も修し行せられば、祖意も言句の意も移つるべし。扨亦機の移つると云ふ事知りめされたるか、我も四季の機抔は其儘移つる也。强く錬鍛へて心さへ磨くれば、四時の機も不浄も無常も移つる物なれども、皆機がういて走る程に移つるへき様なし。しつかとした機無くして修行成り難しと也。