驢鞍橋 / 卷下
或人曰く、この前師語て曰く、よい者に惡い者あり、惡い者に好い者あり。何れもこの道理を知るや。先づあの無人か上を以て知るへし。あれ程惡人はなきか、我親しき人の爲めには命をも捨る機也。人の爲めに命を捨るは、よき者にあらずや。さて某の樣に惡しきことなくどつこもよき人なれども、いかにしても、人の爲めにならぬは、よき者の惡き者と也。
新字:或人曰く、この前師語て曰く、よい者に悪い者あり、悪い者に好い者あり。何れもこの道理を知るや。先づあの無人か上を以て知るへし。あれ程悪人はなきか、我親しき人の為めには命をも捨る機也。人の為めに命を捨るは、よき者にあらずや。さて某の様に悪しきことなくどつこもよき人なれども、いかにしても、人の為めにならぬは、よき者の悪き者と也。
書き下し
或人曰く、この前師語て曰く、よい者に悪い者あり、悪い者に好い者あり。何れもこの道理を知るや。先づあの無人か上を以て知るへし。あれ程悪人はなきか、我親しき人の為めには命をも捨る機也。人の為めに命を捨るは、よき者にあらずや。さて某の様に悪しきことなくどつこもよき人なれども、いかにしても、人の為めにならぬは、よき者の悪き者と也。
現代語訳
ある人が言った。以前、師が語って言われた。良い者に悪い者があり、悪い者に良い者がある。誰もこの道理を知っているか。まずあの無人の身の上で知りなさい。あれほどの悪人はいないが、自分の親しい人のためには命をも捨てる気迫である。人のために命を捨てるのは、良い者ではないか。さて、某のように悪いことがなく、どこも良い人だけれども、どうしても人のためにならないのは、良い者の悪い者である、と。
解説
良い人の中にも悪い人がいて、悪い人の中にも良い人がいる、と正三は言う。あれほどの悪人でも、親しい人のためには命を捨てる覚悟がある。一方、悪いことは何もしない品行方正な人でも、少しも人のためにならないなら、それは良い人の中の悪い人だ、と。品行の良し悪しではなく、人のために身を投げ出せるかで人を見る。世間の評判や表面の行儀で人を判断しがちな心に、別の物差しを示す条である。
この章句が説くこと
善人と悪人評価物差し人のため品行人間観
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